国衆(国人) | |
【参考資料・文献】 | 【利用上の注意】 |
名字の由来のTop | 地名の由来のTop |
名字と地名のMenu | ワンポイントのTop |
スポンサーリンク |
スポンサーリンク |
■ 姓氏研究家の森岡浩さんの著書にも書いてありましたが、以前は「国人」と表現した地方の在地領主。2016年のNHKの大河ドラマ「真田丸」で「国衆」という言葉が使われてから、こちらの方がメジャーになったみたいですね。【名字でわかるあなたのルーツ 森岡浩 小学館】に各地の主な国衆がまとめてあったので利用させていただきます。各名字の由来については「こちら」のページからどうぞ。
■ 国衆(くにしゅう): 戦国大名の領国の外縁部には、「国衆(くにしゅう)」と称した存在が多数見られた。「国衆」は1990年代から使用され始めた学術用語。【出典:国衆 黒田基樹 平凡社】
■ 「国衆」の語源は、小田原の北条家で使用されていた「他国衆」に由来する。「国衆」とは、「戦国時代において、およそ一郡ないしそれ以上の規模で、一円的・排他的な領国を形成し、一族や従来からの被官にとどまらず、周辺領主をも包摂して、領国内のすべての領主層を一元的な主従制・知行制による家臣団に編成し、その領国を全くの自力によって統治する領域権力のこと。【出典:国衆 黒田基樹 平凡社】
■ 戦国大名と国衆の区分: 領国支配と従属関係の解明が必要。郡を越えて領地が拡大され、他の国衆を従属化した場合には戦国大名と言える。【出典:国衆 黒田基樹 平凡社】
■ 戦国大名の領国(分国)は、直轄支配地域と、国衆が排他的に支配する国衆領(「領」「国」)によってなる。国衆領においては、国衆の自治権が認められた。甲斐国の武田氏においては、武田家の直轄的な支配地域は「国中(甲府盆地一帯)」のみで、「郡内(都留郡一帯)」には国衆の小山田家が、「河内(かわうち・西八代郡・南巨摩郡一帯)」には国衆の穴山武田家が勢力をもっていた。戦国時代にはいって、天文十一年以後は、武田家が本格的に他国に攻め入ったことで、国衆は追放されたり、滅亡した家以外には、これに従って軍団として編成された。【出典】
■ 史料用語としての「国衆」
# 日本国語大辞典によると、そもそも「国衆」という用語自体は、当時から使用されており、ほんらいの意味は、古代律令制下の在庁官人(土着の有力者)をはじめ、国衙領の住人を示す用語であったが、中世の室町期に各国の守護のうち、任国に居住した土着の武士を示すようになった。【出典】
# ヴァリ二ャーノの「日本巡察記」によると、「戦国大名は西洋の国王に相当すると認識され、領土(王国)の全支配権と命令権を保持した。だがその「王国」には、いくつもの「国」が存在し、その支配者が「国衆」であり、その規模と勢力は強大なものから弱小なものまで様々であった。また「国衆」の「国」の規模はおおよそ3〜4万石程度であり、この中から「国衆」の家臣である「殿(小領主)」に分与された。「小領主(殿)」は城砦を持ち、一ヵ村から数ヵ村に及ぶ地域の領主であって、知行の規模は1〜2千石ほどであるという。【出典】
■ 国人: 南北朝から室町期の在地領主を「国人(こくじん)」という。それは、地頭御家人の系譜をひき、本領を所領支配の中核としつつ、その拡大を指向し、荘園の押領や他氏との抗争を展開する武士とされる。こうした国人の所領経営や庄郷(しょうごう)、流通支配の実態をめぐるその領主制のあり方を「国人領主制」という。【出典】
■ 先方衆(せんぽうしゅう): 武田氏の軍事力を支える大きな主柱が先方衆である。先方衆とは、戦国争乱の過程で武田氏に従属することを選んだ他国の国衆のことを意味する。先方衆という用語は、戦国期にはすでに使われていたもので、武田氏の直臣の区分を示す呼称でもある。【出典】
# 先方衆: 武田信玄・勝頼に従属する武士は、分限の大小、本国・他国に関係なく、すべて「御家人」と呼称されていた。これは、彼らが武田氏当主の直臣であることを意味していた。しかし、甲斐本国の御家人は、武田氏の「家中」を構成し、それゆえに軍事力と統治機構を支える存在、つまり譜代として重視された。穴山家、今井家、岩手家、油川家、小山田家、栗原家、大井家など、かつては武田信虎と激しく対立した甲斐国衆も、武田信玄・勝頼の代になるにつれて、武田氏の家政機構を支える存在に変化していき、譜代家臣としての性格が強まっていった。これに対して、武田氏が軍事侵攻に伴い領国化した信濃国・上野国・駿河国・遠江国・飛騨国・三河国・美濃国などで勢力を扶植していた武士のうち、有力な国衆を「先方衆」と呼称し、甲斐国の御家人と区別した。【出典】
# 史料によると「先方衆」は、「駿州」のように国名を冠して呼称され、また武田氏の御家人のうち、他国の武士たちを指すことが確認されている。【出典】
# 武田信玄が永禄十一年に駿河国の今川氏攻略を開始した際に、今川氏真を見捨てて、武田氏に従属することを選択した国衆に対し、発行した証文によると、「先方」とは武田氏に敵対していた大名のことで、「先方衆」とはかつて敵対関係にあった大名に従っていた有力武士が、降伏したり、離叛したりして、武田氏に従属し、新規に味方になった人たちを意味する。しかし、全ての他国武士が「先方衆」だったわけでもない。【出典】
# 武田氏の先方衆(有力国衆)【出典】
史料によってことなるが、有力国衆は91氏で、兵力の最大値は1265騎、最小で1260騎。
一例
・ 真田源太左衛門・300騎・信濃国小県郡・真田氏・松尾城。
・ 真田兵部丞・50騎・信濃国小県郡・真田氏・芦田城、春日城。
・ 小幡上総守・500騎・上野国甘楽郡・小幡氏・国峯城。
※ 戦国期において正規兵を馬上の騎馬で表記するのが通例で、これらには中間・小者などの雑兵(武家奉公人)を含んでいない。
# 武田領国においては、「先方衆」とは一種の身分、家格であり、傑出した支配領域と軍事力を保持した「国衆」だけに適用された呼称だった。【出典】
# 先方衆が武田氏のもとに身を置き続ける最大の理由は、戦国争乱が激化する時代において、彼らの「家(家中)」と「領(国)」を敵の攻撃から保護してもらうことに他ならない。先方衆の本領が攻撃を受けた場合、戦国大名は軍勢を派遣してこれを撃退せねばならなかった。まず先方衆の援護に向かったのは、「指南(奏者)」を努める武田氏の重臣層(郡司、城代)であり、それでも間に合わなければ武田信玄・勝頼が本隊を率いて出陣した。【出典】
■ 家中(かちゅう): 国衆の軍事、経済力を支えるのが所領(領)、また国衆の当主とともに軍役を担うのが「家中」の人々であった。国衆の「家中」は、室町期には形成されており、それは惣領を中心に、庶家、譜代が参集する形態であり、さらに支配領域の村々から被官になった家来や、雇用された牢人、足軽らによって構成されていた。国人の「家中」は、「親類、被官人など」「一族被官人など」と呼ばれていた。戦国期の「家中」も、基本的な構成は変わらなかったが、絶え間ない戦争の過程で、戦国大名から預け置かれた「同心衆」をも包摂し成立した。【出典】
■ 国衆の家中の分裂
■ 主な国衆
・ 岩手県(阿蘇沼氏、一戸氏、及川氏、久慈氏、千葉氏、稗貫氏、和賀氏)
・ 宮城県(秋保氏、熊谷氏、黒川氏、国分氏、長江氏、松坂氏、留守氏、亘理氏)
・ 秋田県(浅利氏、打越氏、戸沢氏、成田氏、仁賀保氏、六郷氏)
・ 福島県(芦名氏、石川氏、猪苗代氏、磐城氏、河原田氏、標葉(しねは)氏、田村氏、二階堂氏)
・ 茨城県(江戸氏、小田氏、小野崎氏、笠間氏、鹿島氏、宍戸氏、島崎氏、額田氏、相馬氏)
・ 栃木県(芦野氏、伊王野氏、大関氏、大田原氏、佐野氏、千本氏、那須氏、福原氏、皆川氏、壬生氏、薬師寺氏)
・ 群馬県(安中氏、小幡氏、長野氏、彦部氏、横瀬氏、和田氏)
・ 埼玉県(浅羽氏、上田氏、太田氏、宿谷氏、成田氏、藤田氏、本庄氏)
・ 千葉県(粟飯原氏、臼井氏、海上氏、円城寺氏、大須賀氏、木内氏、簗田氏、金田氏、酒井氏、庁南氏、安西氏、正木氏)
・ 新潟県(姉崎氏、黒川氏、新発田氏、上条[じょうじょう]氏、安田氏、本間氏)
・ 山梨県(秋山氏、穴山氏、今井氏、大井氏、小山田氏、加藤氏、栗原氏、三枝氏)
・ 長野県(相木氏、海野氏、片桐氏、木曽氏、栗田氏、黒河内氏、真田氏、島津氏、須田氏、高梨氏、仁科氏、知久氏、千野氏、伴野氏、室賀氏、屋代氏、山村氏)
・ 岐阜県(明智氏、安藤氏、稲葉氏、氏家氏、鷲見氏、高木氏、竹中氏、坪内氏、遠山氏、不破氏、江馬氏、三木氏)
・ 静岡県(朝比奈氏、興津氏、葛山氏、由比氏、天野氏、井伊氏、石野氏、奥山氏、久野氏、近藤氏、向坂(さきさか)氏、横地氏)
・ 愛知県(織田氏、佐治氏、久松氏、水野氏、鵜殿氏、奥平氏、吉良氏、菅沼氏、鈴木氏、戸田氏、牧野氏、松平氏)
・ 三重県(愛洲氏、乙部氏、神戸氏、楠氏、木造氏、関氏、田丸氏、千種氏、長野氏、青山氏、小浜氏、九鬼氏、柘植氏、服部氏、福地氏)
・ 滋賀県(青地氏、蒲生氏、朽木氏、多賀氏、多羅尾氏、三雲氏、目賀田氏、山岡氏、山崎氏、山中氏)
・ 京都府(革島氏、神足氏、狛氏、調子氏、中小路氏、上林氏、塩見氏、一色氏、稲富氏)
・ 大阪府(甲斐荘氏、若江氏、淡輪[たんのわ]氏、沼間氏、安威氏、芥川氏、池田氏、茨木氏、能勢氏)
・ 兵庫県(赤井氏、足立氏、萩野氏、久下氏、波多野氏、伊丹氏、明石氏、魚住氏、宇野氏、櫛橋氏、上月氏、小寺氏、別所氏、太田垣氏、垣屋氏、田結庄氏、八木氏、菅氏、船越氏)
・ 島根県(赤穴氏、神西氏、宍道氏、富田氏、三沢氏、三刀屋氏、小笠原氏、吉川氏、口羽氏、周布氏、益田氏、三隅氏、吉見氏、隠岐氏)
・ 岡山県(浦上氏、日笠氏、松田氏、赤木氏、荘氏、三村氏、植月氏、江見氏、草苅氏、後藤氏)
・ 広島県(杉原氏、和智氏、阿蘇沼氏、天野氏、熊谷氏、小早川氏、宍戸氏、多賀谷氏、乃美氏、羽仁氏、平賀氏)
・ 徳島県(阿佐氏、天羽(あもう)氏、一宮氏、市原氏、大西氏、海部氏、新開氏、森氏)
・ 香川県(秋山氏、岡氏、香川氏、香西氏、近藤氏、寒川[さんかわ]氏、十河氏、高原氏、詫間氏、安富氏)
・ 愛媛県(宇都宮氏、戒能氏、金子氏、忽那[くつな]氏、西園寺氏、土居氏、二神[ふたがみ]氏、村上氏)
・ 高知県(安芸氏、五百蔵[いおろい]氏、大平氏、堅田氏、吉良氏、香宗我部[こうそかべ]、秦神寺[じんぜんじ]氏、津野氏、本山氏、安岡氏、山田氏)
・ 福岡県(秋月氏、麻生氏、香月氏、原田氏、宗像氏、蒲池[かまち]氏、草野氏、黒木氏、上妻[こうづま]氏、星野氏、三池氏、長野氏、門司[もんじ]氏)
・ 佐賀県(相浦氏、犬塚氏、於保[おほ]氏、千葉氏、鶴田氏)
・ 長崎県(青方氏、有馬氏、宇久氏、大村氏、小佐々氏、西郷氏、長崎氏、針尾氏、深掘氏、松浦氏、阿比留氏、大浦氏、波多氏)
・ 熊本県(赤星氏、阿蘇氏、天草氏、宇土氏、隈部氏、合志[こうし]氏、相良氏、志岐氏、小代[しょうだい]氏)
・ 大分県(池永氏、香志田[こうしだ]氏、佐田氏、時枝氏、阿南氏、一万田[いちまだ]氏、臼杵氏、木付[きつき]氏、岐部(きべ)氏、財津氏、佐伯氏、田北氏、都甲氏、戸次[へつぎ]氏)
・ 宮崎県(荒武氏、伊東氏、門川氏、北原氏、土持氏、野辺氏、三田井氏、米良氏)
・ 鹿児島県(伊集院氏、市来氏、指宿氏、入来院氏、加治木氏、喜入氏、祁答院[けどういん]氏、東郷氏、二階堂氏、伊地知氏、蒲生氏、肝付氏、種子島氏、新納[にいろ]氏、禰寝[ねじめ]氏、菱刈氏、本田氏、比志島)