「木曽」の名字の由来 | |
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■ 木曽(きそ)
【2023/05/19:改編】
# 2116位
# 全国に約7400人
# 清和源氏為義流・義時流、桓武平氏の三浦氏流などにみられる。
# 代表家紋
# 広島県尾道市(旧向島町)を中心に備後地方に多くみられ、また千葉県南房総市の旧白浜町に多くみられる。
# 信濃国木曽郡をルーツとする。清和源氏の出で、源義仲の子の義基が祖というが不詳。【出典】
# 木曽義仲の子孫は、江戸時代は下総国蘆戸(あじと)1万石。現在の千葉県旭市でこの旭は旭将軍義仲に由来する。【旭市の由来】
# 広島県:314位、秋田県:457位など。
# 信濃国木曽郡(長野県)をルーツとし清和源氏。木曽義仲の家紋。
# 信濃国の木曽の戦国大名。清和源氏の出で、源義仲の子の義基が祖というが、不詳。暦応元年(1338年)に家村が、足利尊氏に属して功を成し、以後は木曽北部を領した。室町時代には庶子家を分出し、木曽南部を支配していた地頭の真壁氏に代わって木曽南部にも勢力を広げ、親豊のときに須原に本拠を移した。応仁の乱後には戦国大名として成長した。義昌は福島城に拠って、小笠原氏、村上氏などと連携して武田氏と争ったが、弘治元年(1555年)に武田信玄に降った。天正10年(1582年)に義昌は武田勝頼に叛いて織田信長に通じ、信長の信濃国への侵攻では先鋒となって鳥居峠で武田軍を破って、戦後は信長から安曇郡・筑摩郡を与えられた。本能寺の変後には徳川家康に仕えた。子の義利は、天正18年(1590年)の家康の関東入国の際には下総国知戸(千葉県旭市)1万石に転じたが、叔父の義豊を殺して慶長5年(1600年)に改易になった。【出典】
# 木曽家(きそけ): 家紋「九曜紋」
・ 信濃国筑摩郡木曽(長野県木曽郡)を本拠地とした。
・ 清和源氏の義仲流。木曽(源)義仲の子の義基を祖とする。戦国時代に武田家に従って一族となった。後に織田家に従い、本能寺の変後には徳川家に従った。【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】
# 国衆(国人)
# 「きそ」の語源
【2024/05/15:新載】
# 三重県と愛知県に点在する。【出典】
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