名字の由来 | |
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地名や名字の語源集 |
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【掲載名字一覧表】
★ 名字とは
名字はもともと、自分の身内と他人を区別するための符号として発展したものと言われています。したがって、同じ集落内に同じ名字が多く存在する地域では、名字そのものを変えたり、名字に代わる符号が用いられることがあります。それは時代によって職業や屋号だったり、電話番号だったりします。
また現代でも、顧客の識別番号を電話番号とするケースがある。固定電話の場合、家庭では同じ電話番号の所(家庭)に複数の個人が存在するが、事業上の顧客識別には固定電話の電話番号は有効な手段なのです。
その電話も固定電話から携帯電話となり、一人一台の世の中になっており、電話番号も個人識別の方法として使用可能な時代となってきています。実際に、SNSの登録などにおいては、携帯電話の番号を求められる場合があります。携帯電話の取得の際には個人を証明する書類(運転免許証など)の提示が必要で、携帯電話番号はある種身分の証明の役割をも果たしているのです。
かつて天皇(大王)は日本で唯一姓を与える立場にあり、いわば日本唯一の立場にあるため、個人識別の姓は必要無いとされており、現在においても皇室には姓も戸籍もありません。
昨今のインターネット時代の個人の識別法としてよく使われるのはHN(ハンドルネーム)ですが、狭いコミュニティ内の識別にしか利用できません。一般的には今までの電話番号に代わってメールアドレスが識別の役割を果たしていることが多いようです。そういった意味ではabc@def.comのdefが名字でabcが名前とでも言えるでしょうか。しかし、フリーメールアドレス全盛ともいえる現在においては、その識別機能はうまく果たしているとは言えないのでしょう。
★ 名字と地名の由来の検証
「名字」や「地名」の由来を考えるときに、一番大事な事は漢字の「表記」に騙されないことです。もちろん全てではありませんが、古代の話し言葉(音・おん)に漢字を当てたという事例が多いからなのです。従って、「名字や地名の由来を考える」時には、まずは、「音(おん)」から入るのが由来を探る極意の一つなのです。【詳細】
★ 「名字」か?「苗字」か?
・ 「名字の由来」が正しいのか?「苗字の由来」が正しいのか?当サイトにおける取扱いです。
★ 名字の由来で一番多いのは地名由来と言われています。従って、「名字の由来」を考えるときには「地名の由来」を避けて通ることはできません。
■ 名字の出自や由来をみる場合には「大きな目と広い心」が大事。思い込みと決めつけは厳禁です、そういうものなんですから。
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名字のトピックス |
★ 190807: 名字と文化の移動
・ 土橋章宏著の引っ越し大名三千里 (ハルキ文庫) という本をご存じでしょうか?2019年には映画が公開になるようですが、これは一代で何度も転封させられた松平家の転封(引っ越し)を描いた物である。参勤交代は有名で、書籍も多く映画化もされましたが、「転封」を描いた物は少なく、なかなか面白いものである。転封は参勤交代とは違って、一時的な動きでは無く、そして藩士だけではなく、その家族。時には町民や寺までも巻き込んだ大移動。そこで生じるのが名字や文化や地名の移動である。古代より、名字の移動はよく見られたが、その中でも大きな動きの要因としてこの転封があるのです。この転封。多くは譜代の小藩で行われた。逆に言えば外様の大藩の多くは転封はなく、従って名字や文化の移動は少なかったともいえる。【参考: 名字の移動を追う】
★ 180810: 明治安田生命保険全国同姓調査2018年08月
★ 110825: 全国社長姓名
東京商工リサーチの「全国社長姓名」によると、2011年7月時点の約233万社を集計した結果、
1位: 「鈴木茂」と「佐藤誠」: 163社
3位: 「鈴木隆」: 154社
4位: 「田中博」: 145社
5位: 「伊藤博」: 136社
名前では
1位: 「誠」: 10,096社
2位: 「博」: 9,428社
3位: 「茂」: 9,190社
名字のワンポイント |
いつの世も、先に死んでいくのは下々の者からです。
その死の原因は、「戦い」「飢餓」など様々です。「戦い」では君主よりも雑兵が先に死ぬし、「飢餓」でもそうです。従って、家(名字)が長年にわたって続いていくためには、「ある程度の社会的な地位があって裕福であること」という要件が重要となってくるのです。
そして、家が続くための要件の一つに血統が続くことがあります。この要件においても、「社会的な地位があって裕福であること」は優位性を持ちます。なぜなら、中世においては上流社会を中心に一夫多妻的な側面があったので、裕福な家ほど跡継ぎが続く可能性が高いからです。しかし、それでもなかなか難しい。それは江戸時代の徳川将軍家を見ても、十五代の将軍家が代々スムーズに続いているわけではないことでもわかるでしょう。これほど、血統や家が長い年数にわたって続くことは難しいのです。
逆説的に言えば、今ここに生きている私たちの先祖は「貧乏な下々の者である可能性よりも、社会的に地位のある裕福な家」であった可能性が非常に高いのです。
名字の由来を勉強すると、多くの名字は「〜源氏由来だの」「〜平氏由来だの」地位のある方たちにまつわる名字しか出てきません。しかし、考えてみると、「〜庶民由来」なんて名字が長く続くことははなかなか難しく、仮に続いていたとしても記録に残っているわけはないのですね。
今の世の中ならば「鳶が鷹を生む」で、子孫になれば繁栄するというケースも多いですが、下克上の戦国時代以前は、そういったことも少ないし、江戸時代においても不祥事で改易になった例は数々ありますが、能力発揮して小大名(譜代大名)になった例はありますが、大大名まで出世したケースは無いですからね。町民においても、商家で大きくなったケースはありますが、小作農家の多くはたぶん末代まで小作だったんでしょうね。とすれば、「家(名字)」が代々続く可能性は少ないと言えます(絶対に無いといういうわけではないので念のため)。
つまり、今、この国に生きている人たちの先祖をたどると、結構名のある人たちにたどり着くのかもしれません。
★ 戸籍の歴史
# 日本で最初の戸籍の「庚午年籍(こうごねんじゃく)」ができたのが天智天皇(668〜671年)の時代の670年と言われています。 ところで、なぜこの時代に戸籍ができたのか?それは唐と新羅の連合軍の倭国への侵攻に備えた防衛のための徴兵に使うためだったとか。
# 新撰姓氏録: これは、戸籍というよりも、紳士録のようなものと言われていますが、当時の支配者層の名字を知る上では重要な文献のようです。
# 現行の戸籍制度ができたのは明治5年(壬申戸籍)ということになっています。
※ 蛇足ではあるが、今の日本の「源泉徴収」という徴税システムは、戦前に軍費の徴収のためにできたシステムと聞いたような気がします。
★ 名字の法律 【名字の法律の歴史】
# 現在においては、「法務省は氏(うじ)」、「文部科学省は名字」という表記を使っているようです。従って、戸籍などの正式文書では「氏名」という表記が正しいようです。なお、このサイトにおいては、「氏」では分かりにくいので文部科学省に準拠して「名字」という表記を標準とし、必要な時には「苗字」という表記を使いたいと思います。
・ 「氏」「姓」「名字」「苗字」は同じように思われているかもしれませんが、歴史的背景には大きな違いがあります。
# 名字の謎 森岡浩 著 \714 新潮文庫 2002/03/10発行
この本は、日本人の名字の誕生などに加え、外国の名字なども広範囲に扱っている。自分の名字のルーツを知りたい方にはお勧めの一冊である。
# 知っておきたい日本の名字と家紋 武光誠 著 角川ソフィア文庫 2007/07/25発行
(1) 姓と名字は違う: 姓とは天皇がまだ大王(おおきみ)と言われていた大和時代に大王に従うものに与えられたのが姓。例えば、織田信長の姓は「平」、名字は「織田」、名前は「信長」、通称は「上総介」、「織田上総介平信長」。
(2) 名字と苗字: 名字は本来武士の領地の地名だった。平安時代末期に関東の武士が初めて名字を名乗ったが、その名字は自分の領地の地名で、武士が治める集落を「名」や「名田」と呼ばれたことによる。従って、この時代に名字を持っていたのは領地を持つ、いわゆる高級武士のみであった。江戸時代になると、「苗字」の表記が使われるようになった。これは、武士を知行地から切り離して俸給で支払うような政策に基づくものである。いわば、武士のサラリーマン化である。つまり幕府が、土地を所有することをあらわす「名字」という表記を嫌って「苗字」という表記を広めたのだそうだ。ところで「苗字」の「苗」とはどういう意味か?「苗」とは、漢語で「先祖を同じくする者の集まり」だそうで、現在の「みょうじ」を表すには「苗字」という表記の方があっているのかもしれない。
(3) 武光氏の見解によると、最初に名字を名乗ったのは平安時代後期に関東南西部の武蔵に赴任した「武蔵七党」ではないかとのことである。
(4) 明治政府は1871年に平民に苗字の使用を許し、1872年に現在の戸籍の元祖とも言える「人申戸籍」を作った。この時点で、日本人は全て苗字(名字)を公式に持つようになった。では江戸時代以降、苗字と表記されていたものが現在では名字と表記されるのか、それは明治時代以降「苗」という字を嫌って簡単な「名」を使ったのだそうだ。
(5) 名字の数は約29万
※ 名字の数は10万〜30万と言われるが、電話帳の集計では少なくとも10数万はあるらしい。
# 東日本 対 西日本
(1) 東日本では武士の名字に由来するものが多いが、西日本は地形由来の名字が多い。
(2) 西日本の名字の種類は東日本に比べてはるかに多い。
(3) 東日本と西日本の名字の上位を比べると、西日本の名字の漢字の方が東日本の漢字よりも字画が少ない。
# 東西の名前の分布の境界
・ 新潟県と富山県の県境(親不知)から岐阜県を横切り、三重県を横切って志摩半島にいたるライン。
■ 名字の分布
・ 稀少姓など、あきらかに見られる地域が限定されるものを除いても、「佐藤」「鈴木」「田中」「山本」といったいわゆるメジャーな名字でも、その分布には特徴が見受けられます。例えば、「佐藤」「鈴木」は東日本の名字だし、「田中」「山本」は西日本の名字ですね。
詳細は以下のページを御覧下さい。
・ 庶民でも昔から名字は持っていた。私的な冠婚葬祭の時は名乗っていた。
・ 公家社会から武家社会となり、天皇から賜った「氏」から、自分で名乗った「名字」へと変遷し、当時の名字は「地名(領地)」からとられることが多かった。
・ 明治時代になると、政府は「徴税」や「徴兵」のために「戸籍」を作り、同時に国民全員に名字の公称を許可した。
【参考資料】名字の世界 あなたのルーツがわかる! 文庫ぎんが堂 インデックス編集部著
※ 江戸時代には武士以外には苗字は名乗れなかったが、武士以外にも苗字を名乗れる場合もあった。「わずか五千石 ちいさな大大名の遣り繰り算段 主婦の友新書」によると、「幕末に幕府は天領の豪農商寺院に御用金を科した。300両の者には末代まで苗字・帯刀を許す。200両の者には一代限りで苗字・帯刀を許す。」ということで、ある種「苗字帯刀権」を金で売ったとでもいいでしょうか。まさに、苗字も政治の道具だったわけですね。
※ 仙台藩と盛岡藩は庶民が武士になる金額を定めていたという。仙台藩では農民が50両を藩に払えば帯刀が許され、100両で名字を名乗ることができた。250両で、農民の戸籍から武士の戸籍に移ることができ、500両で正式に藩士になれた。盛岡藩では60両で藩士になれ、幕末には20両に値下げされた。
★ 貴少姓
貴少姓というと「珍名」を思い浮かべる方も多いんですが、元来は「一つの家系に属する者だけがなのる形で受け継がれた名字(書いている本人があまり理解できない)」のことを言うようです。貴少姓の範囲をどう定めるかは難しい問題ですが、一説では29万の名字のうち約4000程度という資料もあるし1万を越えるという資料もあるようです。
# 小地名と貴少姓?
う〜ん、イマイチ表現がわかりにくいなぁ。その名字から分家していろんな名字が作られている名字で、いわば名字の本家筋とも言えるか?例えば、太宰権帥(ごんのそち)藤原隆家の子政則の子則隆が肥後国菊池に住んで菊池氏の祖になった。この菊池氏からは、米良・本田・吉田・田中・黒木などが出て九州各地に広がった、というように、この場合は「菊池」がそれにあたる。
★ 名字の文字数
# 名字のうち漢字二文字からなるものが全体の86%をしめ、三文字の名字が約10%、一文字の名字が約3%とのこと。
どうして名字に漢字二文字のものが多いか?それは、奈良時代に朝廷が、行政区画の名称に漢字二文字を使わせたことがあり、それ以降日本人の多くは二文字(例:高橋=たかはし)の人名や地名を好んだということのようだ。
★ 名字の数 【参考データ】
森岡浩さんの著書によると日本の名字の数は約29万と言われるが、数え方によってだいぶ差があるらしい。では諸外国と比べてこれは多いのか少ないのか?中国や韓国は儒教の思想により名字を受け継ぐことを大切にしているため、中国には約400、韓国は約250と言われる。欧米ではどうかというと、ドイツが約15〜30万。アメリカは約150万と言われている。
また、世界で一番多い名字は「王(わん)」で中国国内だけでも約1億人いるとか。二番目も中国の「吏(り)」。英語圏で一番多いのは「スミス(Smith)」。
参考: 河出書房新社 名字から歴史を読む方法 鈴木 亨 著
(1) 笑い話編
群馬県新田郡鈴懸村の村役場で、「日本で最も古い名字にしてほしい」と頼んだ農民に、戸籍係の担当者は「古代、というのはどうだ」と言ったところ、農民はもっと古い名字がいいというので、「では、太古では」といったが、もっと古くして欲しいというので、「それでは太古前にしよう」ということで太古前という名字に決ったので、これが一番古い名字にと言われているが、この名字は実際に今でもあるらしい。
(2) 真面目編
この本によると、日本で一番最初に付けられた最古の名字というのは不明なのだそうだが、以下の様なことが言えるそうだ。
日本で一番古い歴史書である「古事記」の中の神々の名前が連なる中で、「安曇連(あずみのむらじ)」というのが最初に登場する人名と言われている。なお「連」は敬称とのことで、「安曇」というのが名字である。
※ 安曇: 福岡市東部を本拠にした古代豪族で海産物の貢納や海上輸送に携わっていた。
※ 個人的には「安曇」が「名字」に該当するかは非常に疑問なのだが。【参考】
余談ではあるが、現在この原稿はiPadで書いているが、iPadで暇つぶしに「まんがで読む古事記」を読んだが、次々に出て来る神々の名前の複雑なこと。唯一と言っていいくらい知っていたのが「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」と「須佐之男命(スサノウノミコト)」くらい。それにしても須佐之男命が天照大御神の弟(日本書紀では子供だったようだが?)とは知らなかったなぁ。その須佐之男命の子孫が大国主神だそうだ。
それはともかく、最古の名字を辿る場合にはこれらの神々が密接に関係しているということで、古事記や日本書紀を先に読んだ方が良いかも知れない。
ちなみにいくつか抜粋して記載してみたい。
♯ 安曇・渥美・熱海・天・海人・海部: 古代に海上軍事力として朝廷に奉仕した海人部(あまべ)を統率した安曇の子孫。なお「部」は「職能集団」を意味する。安曇は「水の中から生まれた綿津見神」の子孫。
♯ 宗像: 天照大御神が須佐之男命と天の安の河原で誓約して生まれた三柱の女神の子孫。宗形・宗方・宗象・棟方はその変形。
♯ 藤原: 天の岩戸の前で祝詞を奏上した天児屋命(アメノコヤネノミコト)は後に祭祀を司る中臣(ナカトミ)となり、その子孫の鎌足の時に天智天皇から藤原姓を賜った。
♯ 石辺・宗形・大神(オオミワ)・賀茂・我孫(アビコ)・神(ミワ)・長(ナガ): 大国主神の子孫。
♯ 諏訪: 大国主神の子の建御名方神(タケミナカタノ神)が、高天原の使者に抵抗して信濃の国諏訪湖に逃れ、神主の諏訪氏の祖となった。
古代日本の文化は大陸からの渡来人(とらいじん)にもたらされ、それを元にした名字や地名も多く存在する。
※ 大陸由来の豪族名: 漢(あや)氏、秦(はた)氏、文(ふみ)氏。
※ 七世紀後半に朝鮮の百済や高句麗が滅亡したときに多くの亡命者が渡来し豪族となったが、それらの人々が日本全国に散って住み着いた所に渡来系の地名が起きたとされ、その代表に埼玉県の高麗(こま)郡がある。
■ 通字
■ 国民皆名字
■ 難読名字
■ 名字のランキング
■ アメリカの名字
・ アメリカも名字の多い国と言われています。
・ 大相撲元関脇の高見山は妻の名字を使い、「ジェシー・ジェームス・ワイラニ・クハウルア」から「渡邊大五郎」とした。
・ サッカー選手の「サントス・アエサンドロ」は、語呂合わせで「三都主アレサンドロ」とした。
・ サッカー選手の「ロペス・ワグナー」は、語呂合わせで「呂比須ワグナー」とした。
日本には30万近い名字がありますが、中には読みにくいだけではなく、ある種「いじめの原因」にでも成りそうな名字も沢山あります。こういった場合には名字を変えることができます。