名字のワンポイント
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今生きていることの意味

 いつの世も、先に死んでいくのは下々の者からです。
 その死の原因は、「戦い」「飢餓」など様々です。「戦い」では君主よりも雑兵が先に死ぬし、「飢餓」でもそうです。従って、家(名字)が長年にわたって続いていくためには、「ある程度の社会的な地位があって裕福であること」という要件が重要となってくるのです。
 そして、家が続くための要件の一つに血統が続くことがあります。この要件においても、「社会的な地位があって裕福であること」は優位性を持ちます。なぜなら、中世においては上流社会を中心に一夫多妻的な側面があったので、裕福な家ほど跡継ぎが続く可能性が高いからです。しかし、それでもなかなか難しい。それは江戸時代の徳川将軍家を見ても、十五代の将軍家が代々スムーズに続いているわけではないことでもわかるでしょう。これほど、血統や家が長い年数にわたって続くことは難しいのです。
 逆説的に言えば、今ここに生きている私たちの先祖は「貧乏な下々の者である可能性よりも、社会的に地位のある裕福な家」であった可能性が非常に高いのです。
 名字の由来を勉強すると、多くの名字は「〜源氏由来だの」「〜平氏由来だの」地位のある方たちにまつわる名字しか出てきません。しかし、考えてみると、「〜庶民由来」なんて名字が長く続くことははなかなか難しく、仮に続いていたとしても記録に残っているわけはないのですね。
 今の世の中ならば「鳶が鷹を生む」で、子孫になれば繁栄するというケースも多いですが、下克上の戦国時代以前は、そういったことも少ないし、江戸時代においても不祥事で改易になった例は数々ありますが、能力発揮して小大名(譜代大名)になった例はありますが、大大名まで出世したケースは無いですからね。町民においても、商家で大きくなったケースはありますが、小作農家の多くはたぶん末代まで小作だったんでしょうね。とすれば、「家(名字)」が代々続く可能性は少ないと言えます(絶対に無いといういうわけではないので念のため)。
 つまり、今、この国に生きている人たちの先祖をたどると、結構名のある人たちにたどり着くのかもしれません。

戸籍の歴史

# 日本で最初の戸籍の「庚午年籍(こうごねんじゃく)」ができたのが天智天皇(668〜671年)の時代の670年と言われています。 ところで、なぜこの時代に戸籍ができたのか?それは唐と新羅の連合軍の倭国への侵攻に備えた防衛のための徴兵に使うためだったとか。

# 新撰姓氏録: これは、戸籍というよりも、紳士録のようなものと言われていますが、当時の支配者層の名字を知る上では重要な文献のようです。

# 現行の戸籍制度ができたのは明治5年(壬申戸籍)ということになっています。
※ 蛇足ではあるが、今の日本の「源泉徴収」という徴税システムは、戦前に軍費の徴収のためにできたシステムと聞いたような気がします。

★ 名字の法律 【名字の法律の歴史】

# 現在においては、「法務省は氏(うじ)」、「文部科学省は名字」という表記を使っているようです。従って、戸籍などの正式文書では「氏名」という表記が正しいようです。なお、このサイトにおいては、「氏」では分かりにくいので文部科学省に準拠して「名字」という表記を標準とし、必要な時には「苗字」という表記を使いたいと思います。

★ 「氏」「姓」「名字」「苗字」の違い

・ 「氏」「姓」「名字」「苗字」は同じように思われているかもしれませんが、歴史的背景には大きな違いがあります。 

■ 千葉県銚子市の外川浦は、紀州出身者で構成されていたが、江戸時代には領主の方針で、領民に同じ苗字や称号を禁ずるとか、領民が領主の苗字を遠慮する場合があった。【出典

■ 豊臣秀吉は、1588年に刀狩を行って農民の武器携帯禁止した。また1591年に武士が町人や百姓に転ずること、百姓が商人に転ずることを禁止した。江戸幕府では、士農工商が固定し、苗字・帯刀は武士以外には禁止した。【出典

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