天智天皇
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■ 三十八代: 天智(てんじ)天皇

・ 推古天皇34年(626年)生。舒明天皇と皇極(斉明)天皇の子。天智天皇7年(668年1月3日)に43歳で即位。天智天皇10年(671年12月3日)に46歳で崩御。

・ 近江大津京へ遷都。 

# 天智天皇【学校では教えてくれない日本史の授業 悪人英雄論 井沢元彦 PHP文庫】

・ 中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)。中臣鎌足とともに皇極天皇の前で蘇我入鹿を討つと言ったクーデターをおこした。大化の改新乙巳の変)。

・ 唐と新羅の連合軍により、高句麗や百済が滅ぼされた。日本は以前より百済と深い結びつきが有り、百済の滅亡により唐の脅威が目前に迫った。そのため、日本は中央集権化を急いだ。

・ 中大兄皇子の行った国防策: )牟綵へ水城(みずき)と呼ばれる朝鮮式の堤防の造成。近江宮(大津宮)への遷都。それまでの都は畿内(王の住む土地)に作られたが、近江国は畿内では無い(東山道)。

■ 天智天皇(てんじてんのう)【出典

・ 626−671年。享年46歳(病死)。

・ 出身地: 大和国

・ 肩書き: 第三十八代天皇。舒明天皇の皇子。

・ 家族: 父:舒明天皇、母:皇極天皇、弟:大海人皇子(天武天皇

・ 聖徳太子の死後は、ふたたび蘇我氏が政治権力を独占、その蘇我氏の打倒に立ち上がったのが舒明天皇の皇子、中大兄皇子(天智天皇)である。645年に、宮中の儀式で入鹿を謀殺し、蝦夷を自殺に追い込んだ。これを乙巳の変という。中大兄が進めた中央集権化の政治改革を大化の改新という。百済の支援のために大軍を送ったが、663年に白村江の戦いで大敗を喫した。中大兄は唐・新羅の勢力に脅威を抱いて、九州や瀬戸内海に城を築き、防人を配備した。667年には都を近江大津宮に移し、翌年、天智天皇として即位した。670年には最古の戸籍である庚午年籍を作成したが、翌年に病死した。


【参考: 令和日本史記 126代の天皇と日本人の歩み 八幡和郎 ワニブックス】
【参考: 日本人なら知っておきたい 天皇家の謎 「歴史読本」編集部 KADOKAWA

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