蘇我氏の人々
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■ 「蘇我」の名字の由来

■ 蘇我馬子(そがのうまこ)

■ 蘇我石川麻呂(そがのいしかわまろ): ?ー649年。蘇我入鹿の従兄弟。中大兄皇子が入鹿の暗殺を謀った際に、中大兄側について、暗殺の合図役をはたした。新政府では、右大臣。謀反の嫌疑によって自害した。【出典

■ 蘇我稲目(そがのいなめ): ?ー570?年。飛鳥時代の豪族。崇仏派の中心になって、排仏派の物部尾輿と対立した。財政に関与し、また皇室と姻戚関係を結び、蘇我氏全盛の礎をつくった。【出典

■ 蘇我入鹿(そがのいるか): ?ー645年。父親の蘇我蝦夷に大臣を譲られて、実質的な最高権力者になった。自分の意のままになる古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)を天皇にしようと、山背大兄王を自害に追い込んだが、645年に反発した中大兄皇子や中臣鎌足らに暗殺された。これを、乙巳の変(いっしのへん)という。【出典

■ 蘇我蝦夷(そがのえみし): ?ー645年。舒明天皇を擁して権勢をふるった。子を王子、自宅を上宮(うえのみや)と呼んだとされる。子の蘇我入鹿が暗殺されると、自宅に火を放って自害した。【出典


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