大和国 | |
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# 旧畿内。
# 現在の奈良県。
# 太閤検地での石高: 45万石。【戦国大名県別国盗り物語 八幡和郎 PHP文庫】
# 延喜式による国力順位(納税額による)【本当は面白い「日本中世史」 八幡和郎】。大和国は41位。
# 大いに平和な住みよい所を意味する。
# 古代表記: 和(やまと)の国 → 大和国
# 大和国は古くは、「大養徳(やまと)」「大倭(やまと)」と書かれた。意味は「山に留まる」「山の処」
# 大和国は鎌倉時代以来、守護がおかれず興福寺に検断(けんだん・司法)権が与えられて事実上の守護の役目を果たす。興福寺は藤原氏の氏寺。
■ 今来郡(いまきのこほり): 大和(倭)国今来郡。今来とは「新しく来た(人)」の意味。【日本おもしろ地名考 服部真六 文芸社】
■ 宇陀郡(うだのこほり): 奈良県宇陀郡。飛鳥時代から大和国にみられる郡名。
・ 宇陀(うだ): 奈良県。大和期から見える地名。菟田・宇?・宇太・于太・宇多・于?・宇田とも書く。奈良盆地の東南、宇陀山地の一帯に位置し、古代の宇陀は現在の宇陀郡の大部分を占める。ウダの語源については、ウ(大)タ(田)で、広い台地を意味する古語、アタ(阿田・阿多・阿?)と同義語であり、古代農耕に適した地域の称呼とされる。【出典】
・ 大和地方の東南方に位置する。宇陀は「宇太」「干太」「宇多」「宇田」などとも書かれ、「ウ(大)+タ(田)」の意味か。【出典】
■ 宇智(うち)郡: 飛鳥時代から大和国にみられる郡名。
■ 忍海郡(おしみのこほり): 大和国に飛鳥時代からみられる郡名で、大和国15郡の1つ。
■ 添上郡(そえかみのこほり): 奈良県。古代(飛鳥時代)より大和国にみられる郡名。古代から中世においては「そうのかみぐん」と呼んだ。【出典】
■ 平群郡(へぐりのこほり): 旧大和国。奈良期から見える郡名。
・ 平群(へぐり): 奈良県生駒郡平群町。ヘグリの語義は辺国(へぐに)で、平群谷を形容した意であるとか、重抉(えぐり)の意などとされる。【出典】
■ 万葉集では「大和」の表記はまったく使っていない。「山跡」「山常」などと書いてあったそうだ。
# 続日本紀・文武天皇2年(698年): 2月5日: 「車駕宇智郡に幸す」とあり、天皇が宇智郡に行幸された。
※ 宇智郡: 飛鳥時代から大和国にみられる郡名。
# 続日本紀・文武天皇3年(699年): 9月15日: 高安城(たかやすのき)を修理した。
# 続日本紀・文武天皇4年(700年): 12月26日: 大倭国に疫病が起こった。医者と薬を下賜して、これを救わせた。
# 続日本紀・大宝元年(701年): 8月26日: 高安城を廃止し、その建物や種々の貯蔵物を、大倭・河内の二国に移貯した。諸国に命じて衛士(えじ)を増徴し、衛門府に配属した。