藤原(中臣)鎌足
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■ 藤原(中臣)鎌足(ふじわらのかまたり)【出典

・ 614−669年。享年56歳(病死)。

・ 出身地: 大和国

・ 肩書き: 官人(藤原氏の祖)

・ 家族: 藤原不比等

・ 聖徳太子に続いて、推古天皇が628年に崩御すると、蘇我馬子の子、蘇我蝦夷は、聖徳太子の子である山背大兄王を抑えて、舒明天皇を擁立して、政権を掌握した。さらに、蘇我蝦夷の子の入鹿は、山背大兄王を攻めて自害させ、聖徳太子一族を滅ぼした。役人であった中臣鎌足は国の危機を感じ、蘇我氏の打倒を決意し、中大兄皇子に接近。同じ、蘇我一族である蘇我石川麻呂を味方に引き入れ、飛鳥板蓋宮において蘇我入鹿を暗殺し、蘇我氏を滅ぼした。その後の、大化の改新では、鎌足は内臣に任じられ、政策立案などを行い、中大兄皇子の側近として政治を助けた。669年に、病に倒れた鎌足を天智天皇は見舞い、大織冠(たいしょくかん)という当時の最高位と「藤原」姓を賜った。


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