天皇(すめらぎ) | |
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■ 上皇は太上天皇の略。出家すると法皇という。
■ 初代: 神武(じんむ)天皇
■ 二代: 綏靖(すいぜい)天皇
・ 神武天皇29年(紀元前632年)生。神武天皇の子。綏靖天皇元年(紀元前581年1月8日)に52歳で即位。綏靖天皇33年(紀元前549年5月10日)に84歳で崩御。
・ 皇后: 事代主神の娘で、母の妹。
・ 綏靖天皇から開化天皇までを欠史八代(けつしはちだい)という。
■ 三代: 安寧(あんねい)天皇
・ 綏靖天皇5年(紀元前577年)生。綏靖天皇の子。綏靖天皇33年(紀元前549年7月3日)に29歳で即位。安寧天皇38年(紀元前511年12月6日)に57歳で崩御。
■ 四代: 懿徳(いとく)天皇
・ 綏靖天皇29年(紀元前553年)生。安寧天皇の子。懿徳天皇元年(紀元前510年2月4日)に44歳で即位。懿徳天皇34年(紀元前477年9月8日)に77歳で崩御。
※ どうして、末子なのに天皇を継いだのであろうか?なお、皇后は長兄の娘という。
■ 五代: 孝昭(こうしょう)天皇
・ 懿徳天皇5年(紀元前506年)生。懿徳天皇の子。孝昭天皇元年(紀元前475年1月9日)に32歳で即位。孝昭天皇83年(紀元前393年8月5日)に114歳で崩御。
・ 皇后は、尾張氏の祖の「おき津世襲」の妹。
・ 孝昭天皇の子の天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)は、和邇氏、春日氏、小野氏、粟田氏、柿本氏、大宅氏の祖。
■ 六代: 孝安(こうあん)天皇
・ 孝昭天皇49年(紀元前427年)生。孝昭天皇の子。孝安天皇元年(紀元前392年1月7日)に36歳で即位。孝安天皇102年(紀元前291年1月9日)に137歳で崩御。
・ 日本全体をも表す秋津島は、もともと葛城地方のことらしい。孝安天皇の宮は室秋津島宮(むろのあきつしまのみや)と言った。
■ 七代: 孝霊(こうれい)天皇
・ 孝安天皇51年(紀元前342年)生。孝安天皇の子。孝霊天皇元年(紀元前290年1月12日)に53歳で即位。孝霊天皇76年(紀元前215年2月8日)に128歳で崩御。
・ 箸墓古墳に埋葬されている。孝霊天皇の子の吉備津彦命は桃太郎のこと。
■ 八代: 孝元(こうげん)天皇
・ 孝霊天皇18年(紀元前273年)生。孝霊天皇の子。孝元天皇元年(紀元前214年1月14日)に60歳で即位。孝元天皇57年(紀元前158年9月2日)に116歳で崩御。
・ 孝元天皇の子の大彦命は、阿部臣、膳臣などの祖。皇后は穂積臣の出。
■ 九代: 開化(かいか)天皇
・ 孝元天皇7年(紀元前208年)生。孝元天皇の子。孝元天皇57年(紀元前158年11月12日)に51歳で即位。開化天皇60年(紀元前98年4月9日)に111歳で崩御。
・ 皇后は、物部氏の祖の大綜麻杵(おおへそき)の娘で、父親の孝元天皇の妃だった。
■ 十代: 崇神(すじん)天皇
・ 開化天皇10年(紀元前148年)生。開化天皇の子。崇神天皇元年(紀元前97年1月13日)に52歳で即位。崇神天皇68年(紀元前30年12月5日)に119歳で崩御。
・ この時代に、大和の一部の領主だったものが、畿内一円に勢力を拡大した。孫の景行天皇の時に南九州から関東まで勢力を拡大した。
■ 十一代: 垂仁(すいにん)天皇
・ 崇神天皇29年(紀元前69年)生。崇神天皇の子。垂仁天皇元年(紀元前29年1月2日)に41歳で即位。垂仁天皇99年(70年7月14日)に139歳で崩御。
・ 皇室の直轄地の屯倉を初めて設けた。
■ 十二代: 景行(けいこう)天皇
・ 垂仁天皇17年(紀元前13年)生。垂仁天皇の子。景行天皇元年(71年7月11日)に84歳で即位。景行天皇60年(130年11月7日)に143歳で崩御。
・ 日本武尊の父。日本武尊は蝦夷を捕虜として連れ帰ったが、蝦夷は容易に同化せず、たびたび刃向かったので、四国や九州に分散して移り住ませた。
■ 十三代: 成務(せいむ)天皇
・ 景行天皇14年(84年)生。景行天皇の子。成務天皇元年(131年1月5日)に48歳で即位。成務天皇60年(190年6月11日)に107歳で崩御。
・ 日本武尊の弟。
■ 十四代: 仲哀(ちゅうあい)天皇
・ 生年不詳。日本武尊の子。仲哀天皇元年(192年1月11日)に即位。仲哀天皇9年(200年2月6日)に崩御。
■ 十五代: 応神(おうじん)天皇
・ 仲哀天皇9年(200年12月14日)生。仲哀天皇と神功皇后の子。応神天皇元年(270年1月1日)に71歳で即位。応神天皇41年(310年2月15日)に111歳で崩御。
・ 生没年不詳。実在したとされる最古の大王(第15代天皇)で、仲哀天皇の皇子。母親は神功皇后とされる。中国の歴史書に登場する「倭の五王」の讃(さん)を応神天皇とする説がある。応神天皇の時勢中、大和朝廷は大きく勢力を拡大したという。【出典】
■ 十六代: 仁徳(にんとく)天皇
■ 十七代: 履中(りちゅう)天皇
・ 生年不詳。仁徳天皇の子。履中天皇元年(400年2月9日)に即位。履中天皇6年(405年3月15日)に崩御。
■ 十八代: 反正(はんぜい)天皇
・ 生年不詳。仁徳天皇の子で履中天皇の弟。反正天皇元年(406年1月2日)に即位。反正天皇5年(410年1月23日)に崩御。
・ 反正天皇は瑞歯別(みずはわけ)天皇は、淡路島の生まれで、「歯並びが美しい」ことを表す名前。
・ 宋書に記される、「倭の五王」の「珍(ちん)」と言われる。
■ 十九代: 允恭(いんぎょう)天皇
・ 生年不詳。仁徳天皇の子で履中天皇や反正天皇の弟。允恭天皇元年(412年12月)に即位。允恭天皇42年(453年1月14日)に崩御。
・ 宋書に記される、「倭の五王」の「済(せい)」と言われる。
■ 二十代: 安康(あんこう)天皇
・ 履中天皇2年(401年)生。允恭天皇の子。允恭天皇42年(453年12月14日)に53歳で即位。安康天皇3年(456年8月9日)に56歳で崩御。
・ 暗殺された二人の天皇のうちの一人。もう一人は崇峻天皇。
・ 宋書に記される、「倭の五王」の「興(こう)」と言われる。
■ 二十一代: 雄略(ゆうりゃく)天皇
・ 允恭天皇7年(418年12月)生。允恭天皇の子で安康天皇の弟。安康天皇3年(456年11月13日)に39歳で即位。雄略天皇23年(479年8月7日)に62歳で崩御。
・ 宋書に記される、「倭の五王」の「武(ぶ)」と言われる。
・ 雄略天皇の死をうけて、西日本に移された蝦夷が反乱をおこした。
・ 生没年不詳。二十一代天皇。允恭天皇の皇子という。478年に宋に使いを送った倭の五王の武(ぶ)とされる。大和朝廷の勢力を拡大した。【出典】
■ 二十二代: 清寧(せいねい)天皇
・ 允恭天皇33年(444年)生。雄略天皇の子。清寧天皇元年(480年1月15日)に37歳で即位。清寧天皇5年(484年1月16日)に41歳で崩御。
■ 二十三代: 顕宗(けんそう)天皇
・ 允恭天皇39年(450年)生。履中天皇の皇子の市辺押磐皇子の子。顕宗天皇元年(485年1月1日)に36歳で崩御。顕宗天皇3年(487年4月25日)に38歳で崩御。
・ 雄略天皇が皇族を片っ端からあやめたが、顕宗天皇は播磨で牛飼いをして身を隠していたので無事だった。
■ 二十四代: 仁賢(にんけん)天皇
・ 允恭天皇38年(449年)生。履中天皇の皇子の市辺押磐皇子の子で仁賢天皇の兄。仁賢天皇元年(488年1月5日)に40歳で即位。仁賢天皇11年(498年8月8日)に50歳で崩御。
■ 二十五代: 武烈(ぶれつ)天皇
・ 仁賢天皇2年(489年)生。仁賢天皇の子。仁賢天皇11年(498年12月)に10歳で即位。武烈天皇8年(506年12月8日)に18歳で崩御。
※ 今までは100歳以上まで生きた天皇が多かったか、20歳未満で無くなったとは、これまた極端ですねぇ。武烈天皇の評判はあまり良くないようだが、若さゆえ?
■ 二十六代: 継体(けいたい)天皇
・ 允恭天皇39年(450年)生。彦主人王の子。継体天皇元年(507年2月4日)に58歳で即位。継体天皇25年(531年2月7日)に82歳で崩御。
・ 応神天皇の五世の子孫。
■ 二十七代: 安閑(あんかん)天皇
・ 雄略天皇10年(466年)生。継体天皇の子。継体天皇25年(531年2月7日)に66歳で即位。安閑天皇2年(535年12月17日)に70歳で崩御。
■ 二十八代: 宣化(せんか)天皇
・ 雄略天皇11年(467年)生。継体天皇の子。安閑天皇2年(535年12月)に69歳で即位。宣化天皇4年(539年2月10日)に73歳で崩御。
■ 二十九代: 欽明(きんめい)天皇
・ 継体天皇3年(509年)生。継体天皇の子。宣化天皇4年(539年12月5日)に31歳で即位。欽明天皇32年(571年4月15日)に63歳で崩御。
・ 仏教が伝来したのがこの時代。また、任那の日本府が新羅に滅ぼされた。
■ 三十代: 敏達(びだつ)天皇
・ 宣化天皇3年(538年)生。欽明天皇の子。敏達天皇元年(572年4月3日)に35歳で即位。敏達天皇14年(585年8月15日)に48歳で崩御。
・ 二番目の皇后が、後の推古天皇。
■ 三十一代: 用明(ようめい)天皇
・ 欽明天皇元年(540年)生。欽明天皇の子で敏達天皇の弟。敏達天皇14年(585年9月5日)に46歳で即位。用明天皇2年(587年4月9日)に48歳で崩御。
・ 聖徳太子の父?
■ 三十二代: 崇峻(すしゅん)天皇
・ 生年不詳。欽明天皇の子で、用明天皇の弟。用明天皇2年(587年8月2日)に即位。崇峻天皇5年(592年11月3日)に崩御。
・ 蘇我馬子に暗殺された。
■ 三十三代: 推古(すいこ)天皇
■ 三十四代: 舒明(じょめい)天皇
・ 推古天皇元年(593年)生。敏達天皇の皇子の押坂彦人大兄皇子の子。舒明天皇元年(629年1月4日)に37歳で即位。舒明天皇13年(641年10月9日)に49歳で崩御。
■ 三十五代: 皇極(こうぎょく)天皇
・ 推古天皇2年(594年)生。皇極天皇元年(642年1月15日)に49歳で即位。皇極天皇4年(645年6月14日)に52歳で退位。弟の孝徳天皇に譲位。
■ 三十六代: 孝徳(こうとく)天皇
・ 推古天皇4年(596年)生。皇極天皇の同母弟。孝徳天皇元年(645年6月14日)に50歳で即位。白雉5年(654年10月10日)に59歳で崩御。
・ 中大兄皇子の叔父。皇后は、中大兄皇子と同母姉妹の間人(はしひと)皇女。
・ 初めて元号を立てて、大化とした。
■ 三十七代: 斉明(さいめい)天皇
・ 孝徳天皇の兄で皇極天皇と同じ。斉明天皇元年(655年1月3日)に62歳で重祚。斉明天皇7年(661年7月24日7月24日)に68歳で崩御。
■ 三十八代: 天智(てんじ)天皇
■ 三十九代: 弘文(こうぶん)天皇
・ 大化4年(648年)生。天智天皇の子。天智天皇10年(671年12月5日)に24歳で即位。弘文天皇元年(672年7月23日)に25歳で崩御。
■ 四十代: 天武(てんむ)天皇
■ 四十一代: 持統(じとう)天皇
■ 四十二代: 文武(もんむ)天皇
■ 四十三代: 元明(げんめい)天皇
・ 斉明天皇7年(661年)生。天智天皇の子。慶雲4年(707年7月17日)に47歳で即位。和銅8年(715年9月2日)に55歳で退位。養老5年(721年12月7日)に61歳で崩御。
・ 平城京を建設した。
・ 「畿内七道諸国の郡郷には好字を用いよ」という詔を発した。
■ 四十四代: 元正(げんしょう)天皇
・ 天武天皇9年(680年)生。草壁皇子と元明天皇の子。霊亀元年(715年9月2日)に36歳で即位。養老8年(724年2月4日)に45歳で退位。天平20年(748年4月21日)に69歳で崩御。
・ 田地の不足をうけて、「三世一身法」が制定された。新田を開墾すると、曽孫までの私有が認められた。
■ 四十五代: 聖武(しょうむ)天皇
・ 大宝元年(701年)生。文武天皇の子で元正天皇の甥。神亀元年(724年2月4日)に24歳で即位。天平感宝元年(749年7月2日)に49歳で退位。天平勝宝8年(756年5月2日)に56歳で崩御。
■ 四十六代: 孝謙(こうけん)天皇
・ 養老2年(718年)生。聖武天皇の子。天平勝宝元年(749年7月2日)に32歳で即位。天平宝字2年(758年8月1日)に41歳で退位。
・ 後に称徳天皇として、再度の即位。
■ 四十七代: 淳仁(じゅんにん)天皇
・ 天平5年(733年)生。天武天皇の皇子の舎人親王の子。天平宝字2年(758年8月1日)に26歳で即位。天平宝宇8年(764年10月9日)に32歳で退位。天平神護元年(765年10月23日)に33歳で崩御。
■ 四十八代: 称徳(しょうとく)天皇
・ 天平宝宇8年(764年10月9日)に47歳で孝謙天皇の重祚。神護景雲4年(770年8月4日)に53歳で崩御。
・ 道鏡を皇位に就けようとした。
・ 推古天皇の成功で日常化した女帝は、孝謙(称徳)天皇の不評で850年あまり途絶えた。
■ 四十九代: 光仁(こうにん)天皇
・ 和銅2年(709年)生。天智天皇の皇子の施基親王の子。宝亀元年(770年10月1日)に62歳で即位。天応元年(781年4月3日)に73歳で退位。天応元年(781年12月23日)に73歳で崩御。
■ 五十代: 桓武(かんむ)天皇
■ 五十一代: 平城(へいぜい)天皇
・ 宝亀5年(774年8月15日)生。桓武天皇の子。大同元年(806年3月17日)に33歳で即位。大同4年(809年4月1日)に36歳で退位。天長元年(824年7月7日)に51歳で崩御。
・ 健康上の理由で譲位。
・ 在原業平は平城天皇の孫。
・ 774−824年。第51代天皇で桓武天皇の皇子。政務を縮小して経済の立て直しを図った。病気のため3年で退位した。810年に嵯峨天皇と対立し、復位と平城京遷都を図ったが失敗して、出家した。これを薬子(くすこ)の変という。【出典】
■ 五十二代: 嵯峨(さが)天皇
■ 五十三代: 淳和(じゅんな)天皇
・ 延暦5年(786年)生。桓武天皇の子で嵯峨天皇の弟。弘仁14年(823年4月16日)に38歳で即位。天長10年(833年2月28日)に48歳で退位。承和7年(840年5月8日)に55歳で退位。
・ この時代、皇室の私有地の勅旨(ちょくし)田が多く設置された。
■ 五十四代: 仁明(にんみょう)天皇
・ 弘仁元年(810年)生。嵯峨天皇の子。天長10年(833年2月28日)に24歳で即位。嘉祥3年(850年3月19日)に41歳で退位(出家)。嘉祥3年(850年3月21日)に41歳で崩御。
■ 五十五代: 文徳(もんとく)天皇
■ 五十六代: 清和(せいわ)天皇
■ 五十七代: 陽成(ようぜい)天皇
・ 貞観10年(868年12月16日)生。清和天皇の子。貞観18年(876年11月29日)に9歳で践祚。元慶8年(884年2月4日)に17歳で退位。天暦3年(949年9月29日)に82歳で崩御。
・ 乱行による退位といわれる。
■ 五十八代: 光孝(こうこう)天皇
■ 五十九代: 宇多(うだ)天皇
■ 六十代: 醍醐(だいご)天皇
■ 六十一代: 朱雀(すざく)天皇
・ 延長元年(923年7月24日)生。醍醐天皇の子。延長8年(930年9月22日)に8歳で践祚。天慶9年(946年4月20日)に24歳で退位。天暦6年(952年8月15日)に30歳で崩御。
・ 平将門や藤原純友の乱があった。
■ 六十二代: 村上(むらかみ)天皇
・ 延長4年(926年6月2日)生。醍醐天皇の子。天慶9年(946年4月20日)に21歳で践祚。康保4年(967年5月25日)に42歳で崩御。
・ 公家の村上源氏の祖。
■ 六十三代: 冷泉(れいぜい)天皇
・ 天暦4年(950年5月24日)生。村上天皇の子。康保4年(967年5月25日)に18歳で践祚。安和2年(969年8月13日)に20歳で退位。寛弘8年(1011年10月24日)に62歳で崩御。
■ 六十四代: 円融(えんゆう)天皇
・ 天徳3年(959年3月2日)生。村上天皇の子で冷泉天皇の弟。安和2年(969年8月13日)に11歳で践祚。永観2年(984年8月27日)に26歳で退位。正暦2年(991年2月12日)に33歳で崩御。
■ 六十五代: 花山(かざん)天皇
・ 安和元年(968年10月26日)生。冷泉天皇の子。永観2年(984年8月27日)に17歳で践祚。寛和2年(986年6月23日)に19歳で退位。寛弘5年(1008年2月8日)に41歳で崩御。
■ 六十六代: 一条(いちじょう)天皇
・ 天元3年(980年6月1日)生。円融天皇の子。寛和2年(986年6月23日)に7歳で践祚。寛弘8年(1011年6月13日)に32歳で退位。寛弘8年(1011年6月13日)に32歳で退位。寛弘8年(1011年6月22日)に32歳で崩御。
・ 比叡山で、慈覚大師・円仁と智証大師・円珍の派閥争いがあった。
■ 六十七代: 三条(さんじょう)天皇
・ 貞元元年(976年1月3日)生。冷泉天皇の子で一条天皇の従弟。寛弘8年(1011年6月13日)に36歳で践祚。長和5年(1016年1月29日)に41歳で退位。寛仁元年(1017年5月9日)に42歳で崩御。
■ 六十八代: 後一条(ごいちじょう)天皇
・ 寛弘5年(1008年9月11日)生。一条天皇の子。長和5年(1016年1月29日)に9歳で践祚。長元9年(1036年4月17日)に29歳で退位。長元9年(1036年4月17日)に29歳で崩御。
■ 六十九代: 後朱雀(ごすざく)天皇
・ 寛弘6年(1009年11月25日)生。一条天皇の子で後一条天皇の弟。長元9年(1036年4月17日)に28歳で践祚。寛徳2年(1045年1月16日)に37歳で退位。寛徳2年(1045年1月18日)に37歳で崩御。
■ 七十代: 後冷泉(ごれいぜい)天皇
・ 万寿2年(1025年8月3日)生。後朱雀天皇の子。寛徳2年(1045年1月16日)に21歳で践祚。治暦4年(1068年4月19日)に44歳で崩御。
■ 七十一代: 後三条(ごさんじょう)天皇
・ 長元7年(1034年7月18日)生。後朱雀天皇の子で後冷泉天皇の弟。治暦4年(1068年4月19日)に35歳で践祚。延久4年(1072年12月8日)に39歳で退位。延久5年(1073年5月7日)に40歳で崩御。
■ 七十二代: 白河(しらかわ)天皇
・ 天喜元年(1053年6月19日)生。後三条天皇の子。延久4年(1072年12月8日)に20歳で践祚。応徳3年(1086年11月26日)に34歳で退位。大治4年(1129年7月7日)に77歳で崩御。
・ 「天下三不如意」として、「鴨川の水」「双六の賽」「山法師(比叡山の僧)」をあげ、院政の創始者。
・ 1053ー1129年。七十二代天皇。後三条天皇の子で、父の遺志を継ぐとともに、実子である堀河天皇を助けて院政をしいた。熱心な仏教信者で、のちに出家して法皇になった。【出典】
■ 七十三代: 堀河(ほりかわ)天皇
・ 承暦3年(1079年7月9日)生。白河天皇の子。応徳3年(1086年11月26日)に8歳で践祚。嘉承2年(1107年7月19日)に29歳で崩御。
■ 七十四代: 鳥羽(とば)天皇
・ 康和5年(1103年1月16日)生。堀河天皇の子。嘉承2年(1107年7月19日)に5歳で践祚。保安4年(1123年1月28日)に21歳で退位。保元元年(1156年7月2日)に54歳で崩御。
■ 七十五代: 崇徳(すとく)天皇
■ 七十六代: 近衛(このえ)天皇
・ 保延5年(1139年5月18日)生。鳥羽天皇の子で崇徳天皇の弟。永治元年(1141年12月7日)に3歳で践祚。久寿2年(1155年7月23日)に17歳で崩御。
■ 七十七代: 後白河(ごしらかわ)天皇
・ 大治2年(1127年9月11日)生。鳥羽天皇の子で近衛天皇の兄。久寿2年(1155年7月24日)に29歳で践祚。保元3年(1158年8月11日)に32歳で退位。建久3年(1192年3月13日)に66歳で崩御。
■ 七十八代: 二条(にじょう)天皇
・ 康治2年(1143年6月17日)生。後白河天皇の子。保元3年(1158年8月11日)に16歳で践祚。永万元年(1165年6月25日)に23歳で退位。永万元年(1165年7月28日)に23歳で崩御。
■ 七十九代: 六条(ろくじょう)天皇
・ 長寛2年(1164年11月14日)生。二条天皇の子。永万元年(1165年6月25日)に2歳で践祚。仁安3年(1168年2月19日)に5歳で退位。安元2年(1176年7月17日)に13歳で崩御。
・ 後白河上皇と平清盛の時代ですか。2歳で践祚、5歳で退位というのも歴史ですねぇ。
■ 八十代: 高倉(たかくら)天皇
・ 応保元年(1161年9月3日)生。後白河天皇の子で六条天皇の叔父。仁安3年(1168年2月19日)に8歳で践祚。治承4年(1180年2月21日)に20歳で退位。治承5年(1181年1月14日)に21歳で崩御。
■ 八十一代: 安徳(あんとく)天皇
・ 治承2年(1178年11月12日)生。高倉天皇の子。治承4年(1180年2月21日)に3歳で践祚。寿永4年(1185年3月24日)に8歳で崩御。
■ 八十二代: 後鳥羽(ごとば)天皇
・ 治承4年(1180年7月14日)生。高倉天皇の子で、安徳天皇の弟。寿永2年(1183年8月20日)に4歳で践祚。建久9年(1198年1月11日)に19歳で退位。延応元年(1239年2月22日)に60歳で崩御。
・ 後鳥羽上皇は承久の乱の主役。
■ 八十三代: 土御門(つちみかど)天皇
・ 建久6年(1195年12月2日)生。後鳥羽天皇の子。建久9年(1198年1月11日)に4歳で践祚。承元4年(1210年11月25日)に16歳で退位。寛喜3年(1231年10月11日)に37歳で崩御。
■ 八十四代: 順徳(じゅんとく)天皇
・ 建久8年(1197年9月10日)生。後鳥羽天皇の子で土御門天皇の弟。承元4年(1210年11月25日)に14歳で践祚。承久3年(1221年4月20日)に25歳で退位。仁治3年(1242年9月12日)に46歳で崩御。
■ 八十五代: 仲恭(ちゅうきょう)天皇
・ 建保6年(1218年10月10日)生。順徳天皇の子。承久3年(1221年4月20日)に4歳で践祚。承久3年(1221年7月9日)に4歳で退位。文暦元年(1234年5月20日)に17歳で崩御。
■ 八十六代: 後堀河(ごほりかわ)天皇
・ 建暦2年(1212年2月18日)生。守貞親王の子。承久3年(1221年7月9日)に10歳で践祚。貞永元年(1232年10月4日)に21歳で退位。文暦元年(1234年8月6日)に23歳で崩御。
・ 守貞親王: 後鳥羽上皇の同母兄。
■ 八十七代: 四条(しじょう)天皇
・ 寛喜3年(1231年2月12日)生。後堀河天皇の子。貞永元年(1232年10月4日)に2歳で践祚。仁治3年(1242年1月9日)に12歳で崩御。
■ 八十八代: 後嵯峨(ごさが)天皇
・ 承久2年(1220年2月26日)生。土御門天皇の子。仁治3年(1242年1月20日)に23歳で践祚。寛元4年(1246年1月29日)に27歳で退位。文永9年(1272年2月17日)に53歳で崩御。
■ 八十九代: 後深草(ごふかくさ)天皇
・ 寛元元年(1243年6月10日)生。後嵯峨天皇の子。寛元4年(1246年1月29日)に4歳で践祚。正元元年(1259年11月26日)に17歳で退位。嘉元2年(1304年7月16日)に62歳で崩御。
■ 九十代: 亀山(かめやま)天皇
・ 建長元年(1249年5月27日)生。後嵯峨天皇の子。正元元年(1259年11月26日)に11歳で践祚。文永11年(1274年1月26日)に26歳で退位。嘉元3年(1305年9月15日)に57歳で崩御。
・ 福岡県庁のわきの東公園には元寇の時期の亀山天皇(上皇)の銅像がある。この地が元寇の時の主戦場か?藤原隆家の像でなく、天皇の像であるのは、いかにも日本らしい。
■ 九十一代: 後宇多(ごうだ)天皇
・ 文永4年(1267年12月1日)生。亀山天皇の子。文永11年(1274年1月26日)に8歳で践祚。弘安10年(1287年10月21日)に21歳で退位。元享4年(1324年6月25日)に58歳で崩御。
■ 九十二代: 伏見(ふしみ)天皇
・ 文永2年(1265年4月23日)生。後深草天皇の子。弘安10年(1287年10月21日)に23歳で践祚。永仁6年(1298年7月22日)に34歳で崩御。
■ 九十三代: 後伏見(ごふしみ)天皇
・ 正応元年(1288年3月3日)生。伏見天皇の子。永仁6年(1298年7月22日)に11歳で践祚。正安3年(1301年1月21日)に14歳で退位。建武3年(1336年4月6日)に49歳で崩御。
■ 九十四代: 後二条(ごにじょう)天皇
・ 弘安8年(1285年2月2日)生。後宇多天皇の子。正安3年(1301年1月21日)に17歳で践祚。徳治3年・延慶元年(1308年8月25日)に24歳で崩御。
■ 九十五代: 花園(はなぞの)天皇
・ 永仁5年(1297年7月25日)生。伏見天皇の子。延慶元年(1308年8月26日)に12歳で践祚。文保2年(1318年2月26日)に22歳で退位。正平3年(1348年11月11日)に52歳で崩御。
■ 九十六代: 後醍醐(ごだいご)天皇
■ 北朝初代: 光厳(こうごん)天皇
・ 正和2年(1313年7月9日)生。後伏見天皇の子。元徳3年(1331年9月20日)に19歳で践祚。正慶2年(1333年5月25日)に21歳で退位。貞治3年(1364年7月7日)に52歳で崩御。
■ 九十七代: 後村上(ごむらかみ)天皇
・ 嘉暦3年(1328年)生。後醍醐天皇の子。延元4年(1339年8月15日)に12歳で践祚。正平23年(1368年3月11日)に41歳で崩御。
■ 北朝二代: 光明(こうみょう)天皇
・ 元享元年(1321年12月23日)生。後伏見天皇の子で光厳天皇の弟。建武3年(1336年8月15日)に16歳で践祚。貞和4年(1348年10月27日)に28歳で退位。康暦2年(1380年6月24日)に60歳で崩御。
■ 北朝三代: 崇光(すこう)天皇
・ 建武元年(1334年4月22日)生。光厳天皇の子。貞和4年(1348年10月27日)に15歳で践祚。観応2年(1351年11月7日)に18歳で退位。応永5年(1398年1月13日)に65歳で崩御。
■ 北朝四代: 後光厳(ごこうごん)天皇
・ 暦応元年(1338年3月2日)生。光厳天皇の子で崇光天皇の弟。観応3年(1352年8月17日)に、15歳で践祚。応安4年(1371年3月23日)に34歳で退位。応安7年(1374年1月29日)に37歳で崩御。
■ 九十八代: 長慶(ちょうけい)天皇
・ 興国4年(1343年)生。後村上天皇の子。正平23年(1368年3月)に26歳で践祚。弘和3年(1383年)に41歳で退位。応永元年(1394年8月1日)に52歳で崩御。
■ 北朝五代: 後円融(ごえんゆう)天皇
・ 延文3年(1358年12月12日)生。後光厳天皇の子。応安4年(1371年3月23日)に14歳で践祚。永徳2年(1382年4月11日)に25歳で退位。明徳4年(1393年4月26日)に36歳で崩御。
■ 九十九代: 後亀山(ごかめやま)天皇
・ 生年不詳。弘和3年(1383年)に践祚。元中9年(1392年)退位。応永31年(1424年4月12日)に崩御。
■ 百代(北朝六代): 後小松(ごこまつ)天皇
・ 永和3年(1377年6月27日)生。後円融天皇の子。永徳2年(1382年4月11日)に6歳で践祚。応永19年(1412年8月29日)に36歳で退位。永享5年(1433年10月20日)に57歳で崩御。
■ 百一代: 称光(しょうこう)天皇
・ 応永8年(1401年3月29日)生。後小松天皇の子。応永19年(1412年8月29日)に12歳で践祚。正長元年(1428年7月20日)に28歳で崩御。
・ 称光天皇は武芸を好み、不満があると周囲の人達を打ち据えたり矢を射かけたりと乱暴な一面があったという。
■ 百二代: 後花園(ごはなぞの)天皇
・ 応永26年(1419年6月18日)生。伏見宮貞成親王後崇光院の子。正長元年(1428年7月28日)に10歳で践祚。寛正5年(1464年7月19日)に46歳で退位。文明2年(1470年12月27日)に52歳で崩御。
・ 1461年に寛正の大飢饉が発生。
■ 百三代: 後土御門(ごつちみかど)天皇
・ 嘉吉2年(1442年5月25日)生。後花園天皇の子。寛正5年(1464年7月19日)に23歳で践祚。明応9年(1500年9月28日)に59歳で崩御。
■ 百四代: 後柏原(ごかしわばら)天皇
・ 寛正5年(1464年10月20日)生。後土御門天皇の子。明応9年(1500年10月25日)に37歳で践祚。大永6年(1526年4月7日)に63歳で崩御。
■ 百五代: 後奈良(ごなら)天皇
・ 明応5年(1496年12月23日)生。後柏原天皇の子。大永6年(1526年4月29日)に31歳で践祚。弘治3年(1557年9月5日)に62歳で崩御。
■ 百六代: 正親町(おおぎまち)天皇
・ 永正14年(1517年5月29日)生。後奈良天皇の子。弘治3年(1557年10月27日)に41歳で践祚。天正14年(1586年11月7日)に70歳で退位。文禄2年(1593年1月5日)に77歳で崩御。
# 元亀2年(1571年12月15日)生。誠仁親王。天正14年(1586年11月7日)に16歳で践祚。慶長16年(1611年3月27日)に41歳で退位。元和3年(1617年8月26日)に47歳で崩御。
# 1571ー1617年。若くして即位し、豊臣秀吉の庇護下にあったが、秀吉が徳川家康よりも優位にたとうとして天皇の権威を利用したため、朝廷を尊重して威信回復をはかった。そのために関白や太政大臣になった。しかし、江戸時代には天皇の権威は再び抑制された。【出典】
■ 百八代: 後水尾(ごみずのお)天皇
・ 文禄5年(1596年6月4日)生。後陽成天皇の子。慶長16年(1611年3月27日)に16歳で践祚。寛永6年(1629年11月8日)に34歳で退位。延宝8年(1680年8月19日)に85歳で崩御。
・ 中宮は徳川秀忠の娘の東福門院和子で二男五女をもうけた。
■ 百九代: 明正(めいしょう)天皇
・ 元和9年(1623年11月19日)生。後水尾天皇と徳川秀忠の娘の東福門院和子の子。寛永6年(1629年11月8日)に7歳で践祚。寛永20年(1643年10月3日)に21歳で退位。元禄9年(1696年11月10日)に74歳で崩御。
■ 百十代: 後光明(ごこうみょう)天皇
・ 寛永10年(1633年3月12日)生。後水尾天皇と園基任女壬生院光子の子で明正天皇の弟。寛永20年(1643年10月3日)に11歳で践祚。承応3年(1654年9月20日)に22歳で崩御。
■ 百十一代: 後西(ごさい)天皇
・ 寛永14年(1637年11月16日)生。後水尾天皇の子で後光明天皇の弟。承応3年(1654年11月28日)に18歳で践祚。寛文3年(1663年1月26日)に27歳で退位。貞享2年(1685年2月22日)に49歳で崩御。
■ 百十二代: 霊元(れいげん)天皇
・ 承応3年(1654年5月25日)生。後水尾天皇の子で後西天皇の弟。寛文3年(1663年1月26日)に10歳で践祚。貞享4年(1687年3月21日)に34歳で退位。享保17年(1732年8月6日)に79歳で崩御。
■ 百十三代: 東山(ひがしやま)天皇
・ 延宝3年(1675年9月3日)生。霊元天皇の子。貞享4年(1687年3月21日)に13歳で践祚。宝永6年(1709年6月21日)に35歳で退位。宝永6年(1709年12月17日)に35歳で崩御。
・ この時代、皇室領が1万石から3万石へ。
■ 百十四代: 中御門(なかみかど)天皇
・ 元禄14年(1701年12月17日)生。東山天皇の子。宝永6年(1709年6月21日)に9歳で践祚。享保20年(1735年3月21日)に35歳で退位。元文2年(1737年4月11日)に37歳で崩御。
■ 百十五代: 桜町(さくらまち)天皇
・ 享保5年(1720年1月1日)生。中御門天皇の子。享保20年(1735年3月21日)に16歳で践祚。延享4年(1747年5月2日)に28歳で退位。寛延3年(1750年4月23日)に31歳で崩御。
■ 百十六代: 桃園(ももぞの)天皇
・ 寛保元年(1741年2月29日)生。桜町天皇の子。延享4年(1747年5月2日)に7歳で践祚。宝暦12年(1762年7月12日)に22歳で崩御。
■ 百十七代: 後桜町(ごさくらまち)天皇: 最後の女性天皇
・ 元文5年(1740年8月3日)生。桜町天皇の子で桃園天皇の姉。宝暦12年(1762年7月27日)に23歳で践祚。明和7年(1770年11月24日)に31歳で退位。文化10年(1813年閏11月2日)に74歳で崩御。
■ 百十八代: 後桃園(ごももぞの)天皇
・ 宝暦8年(1758年7月2日)生。桃園天皇の子。明和7年(1770年11月24日)に13歳で践祚。安永8年(1779年10月29日)に22歳で崩御。
■ 百十九代: 光格(こうかく)天皇
・ 明和8年(1771年8月15日)生。閑院宮典仁親王の子。安永8年(1779年11月25日)に9歳で践祚。文化14年(1817年3月22日)に47歳で退位。天保11年(1840年11月19日)に70歳で崩御。
■ 百二十代: 仁孝(にんこう)天皇
・ 寛政12年(1800年2月21日)生。光格天皇の子。文化14年(1817年3月22日)に18歳で践祚。弘化3年(1846年1月26日)に47歳で崩御。
・ 学習院の創始者。学問好きだった仁孝天皇は、公家の教育機関を設立しようとして、1845年に学習院を設けた。
■ 百二十一代: 孝明(こうめい)天皇
・ 天保2年(1831年6月14日)生。仁孝天皇の子。弘化3年(1846年2月13日)に16歳で践祚。慶応2年(1866年12月25日)に崩御。
■ 百二十二代: 明治(めいじ)天皇
■ 百二十三代: 大正(たいしょう)天皇
■ 百二十四代: 昭和(しょうわ)天皇
■ 百二十五代: 平成(へいせい)天皇・平成上皇
■ 百二十六代: 今上天皇(徳仁・なるひと)
【参考: 令和日本史記 126代の天皇と日本人の歩み 八幡和郎 ワニブックス】
【参考: 日本人なら知っておきたい 天皇家の謎 「歴史読本」編集部 KADOKAWA