徳川家康
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■ 徳川家康(とくがわ いえやす)

・ 徳川家

・ 1542年〜1616年

・ 「徳川(苗字)」+「太政大臣(階位)」+「源(氏)」+「朝臣(姓)」+「家康(諱)」

・ 幼名: 竹千代
・ 通称: 次郎三郎
・ 尊称: 大御所、神君
・ 階位: 従一位太政大臣
・ 神号: 東照大権現

・ 徳川幕府の初代将軍。小さい頃には今川家の駿府で人質時代を過ごす。三河国の出で、信長、秀吉の時代に勢力争いをした。小田原の北条家が滅亡後、秀吉によって東海地方から関東地方に移動させられた。

・ 1603年に朝廷より征夷大将軍に任ぜられ江戸幕府を開く。

# 家康の子
・ 長男: 松平信康(1559年生まれ)・生母は家康の正室の築山殿。1579年に謀反の疑いで切腹。
・ 長女: 亀姫(1560年生まれ)・生母は家康の正室の築山殿。小幡藩主の奥平信昌の正室となる。
・ 次女: 督姫(1565年生まれ)・生母は西郡(にしごおり)の方。小田原の北条氏直に嫁ぎ、北条氏が滅亡後には池田輝政の正室となる。
・ 次男: 結城(松平)秀康(1574年生まれ)・生母は小督(こごう)の局。越前松平家の祖。
・ 三男: 秀忠(1579年生まれ)・生母はお愛の方(西郷の局)。二代将軍となる。
・ 四男: 松平忠吉(1580年生まれ)・生母はお愛の方(西郷の局)。清洲藩主。
・ 三女: 振姫(1580年生まれ)・生母はお竹の方。会津藩主の蒲生秀行、和歌山藩主の浅野長晟の正室。
・ 五男: 松平(武田)信吉(1583年生まれ)・お都摩(つま)の方(下山殿)。1587年に甲斐の竹田氏を嗣ぐ。
・ 六男: 松平忠輝(1592年生まれ)・生母は茶阿局(於松の方)。1616年に改易。
・ 七男: 松千代(1594年生まれ)・生母は茶阿局(於松の方)。夭折。
・ 八男: 仙千代(1595年生まれ)・生母はお亀の方。夭折。
・ 四女: 松姫(1595年生まれ)・生母は間宮康俊の娘。夭折。
・ 九男: 義直(1600年生まれ)・生母はお亀の方。尾張国の徳川家の祖。
・ 十男: 頼宣(1602年生まれ)・生母はお万の方(陰山殿)。紀伊国の徳川家の祖。
・ 十一男: 頼房(1603年生まれ)・生母はお万の方(陰山殿)。水戸の徳川家の祖。
・ 五女: 市姫(1607年生まれ)・生母はお八の方(お梶?)。夭折

# 徳川家康の子
・ 築山殿の子で信康の妹の亀姫は、中津藩の奥平家の祖となる奥平信昌に嫁いだ。信昌は長篠の戦いでは長篠城に籠城していた。信昌は関ケ原の戦いの後、加納10万石。信昌の嫡男の家昌は宇都宮10万石。【「系図」を知ると日本史の謎が解ける 八幡和郎 青春出版社】

# 側室
・ 阿茶局

# 徳川家康の遺訓
・ 「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足無し。心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思え。勝つことばかり知りて負けることを知らざれば、害その身に至る。己を責めて、人を責めるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。」

# 徳川家康: 幼名竹千代は元服して松平二郎三郎元信と名乗り、その後に蔵人元康から徳川家康を称した。 「康」は天才的武将の祖父の松平清康にあやかった。 元信の「元」は今川義元にちなむ。

# 徳川家康の長男の信康は、徳川姓を名乗ったことはなく、岡崎姓か松平姓を名乗った。【松平家の謎 歴史読本編集部 新人物文庫】

# 永禄9年12月、家康は松平から徳川に改姓することを正親町天皇から許され、従五位下三河守に任ぜられた。
※ 今も昔も先例主義で、松平家の家系で三河守に任ぜられたことがなく、徳川(得川)の世良田家は三河守に任ぜられたことがあり、徳川に改姓したという話しがある。


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