池田輝政
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu 歴史的人物のTop
スポンサーリンク
スポンサーリンク

■ 池田輝政(いけだてるまさ)【出典】: 「池田」の名字の由来

・ 1564−1613年。享年50歳(病死)。

・ 出身地: 尾張国

・ 肩書き: 武将。

・ 家族: 父:池田恒興。

・ 家紋: 備前蝶紋

・ 織田信長の重臣の池田恒興の次男。信長に仕えていたが、本能寺の変の後には、父や兄と共に羽柴秀吉についた。徳川家康織田信雄連合軍との小牧・長久手の合戦で、父と兄を失ったため、輝政は家督を継いだ。秀吉に従って、紀州攻め、九州攻め、小田原攻めなどに出陣して、その功績で三河国吉田15万2000石を賜った。1594年に秀吉は輝政と徳川家康の娘の督姫を結婚させた。これをきっかけに、秀吉の死後は家康に近づいた。関ヶ原の合戦では東軍に属して、その功で播磨国姫路52万石を賜った。

# 池田輝政の2番目の正室は徳川家康の娘の督姫。督姫は以前は小田原の北条氏直に嫁いでいたが、秀吉の小田原攻め北条家が滅んだ後、実家の徳川家に戻っていた。輝政は姫路に入城後、城の大改築を行い今の姫路城とした。


Help】 「苗字」「階位」「幼名」「通称」「諱」「尊称」「号」「氏」「姓」などはこちらをご覧ください。   

統計表示