征夷大将軍
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■ 征夷大将軍(せいいたいしょうぐん): 律令政府は、蝦夷征討軍をしばしば派遣したが、721年(養老5年)に多治比県守(たじひのあがたもり)を責任者に任命し「征夷将軍」と称した。しかし、その後、奈良時代には蝦夷征討軍の主将を征夷将軍の名でよぶことはなかった。ところが、794年(延暦13年)に大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)を征夷大将軍に任じたのを最初とし、以後、9世紀初頭までに数回の征夷大将軍の任命がなされた。しかし、その後一時廃絶されたが、12世紀末に武家政権が成立するとともに、この征夷大将軍の職名が復活し、新しい政治的意義を帯びるに至った。まず1184年(元暦元年)に平家を破って入京した源(木曽(きそ))義仲(よしなか)が征夷大将軍に任命された。しかし、この征夷大将軍はもはや蝦夷征討とは無関係で、義仲が自らの覇権を権威づけるために武門の棟梁にふさわしい官名としてこれを望んだためであった。【コトバンクより】

# 征夷大将軍に任命された内有名なのは、坂上田村麻呂源頼朝徳川家康など。

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