坂上田村麻呂
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■ 坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)【出典

・ 「坂上」の名字

・ 758ー811年。享年54歳(病死)。

・ 出身地: 大和国(奈良県)

・ 肩書き: 武将(征夷大将軍)、公卿(公家)。

・ 家族: 父・坂上苅田麻呂

・ 793年に、陸奥国の北上川中流の胆沢地方(岩手県奥州市)の蝦夷を制圧するために、征夷大将軍の大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)を補佐して副将軍として功をなした。その後、自らが征夷大将軍になって、801年に阿弖流為(あてるい)が率いる蝦夷を降した。翌年には胆沢城を築いて、多賀城から鎮守府を移した。さらに、その翌年に、盛岡市西部に志波城を築いた。さらに北方に進出しようとしたが、財政難により桓武天皇によって中止させられた。810年に、平城天皇嵯峨天皇の対立を藤原薬子と、その兄の藤原仲成が助長し、紛争に発展した。しかし、平城京から東国に挙兵しようと出陣した平城天皇や薬子たを、坂上田村麻呂らが阻止したため、戦いにはいたらなかった。これを「薬子の変」という。


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