蝦夷 | |
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■ 蝦夷(えみし)
・ 古代に、未だ大和朝廷の支配下でなかった、東北日本に土着していた人たちを意味する。
・ 蝦夷 → 得見し(未だ征服せざる者)
・ 1051年に、安倍氏が中央から派遣された陸奥の国司に反乱をしたので、朝廷は源頼義を陸奥守に任じて鎮圧にあたらせた。前九年の役。この戦いでは、清原氏が朝廷側についたため、安倍氏が敗北し奥六郡も清原氏の勢力範囲となった。
・ その後、奥六郡は清原氏の血をつぐ、藤原清衡によって支配される。
# 日本史辞典によると、大和朝廷の東部・北部に対する別称。華夷思想の夷狄観に基づく。古代には「えみし(毛人)」「えびず(夷)」と呼んだが、平安時代以降は「えぞ」と呼び、近世にはアイヌを指した。
# 徳川時代まで津軽地方の北の海岸付近には蝦夷がいたという。津軽藩の記録によると寛文年間頃に、外が浜に16ヶ村、42戸と言われる。宝暦年間には日本の平民の戸籍に編入し、「この年外が浜の狄(エビス)シャモ(日本人)となる」、「外が浜の狄をシャモ(日本人)に仕る」とある。名前も日本風となり、下に「犬(アイヌの略)」をつけて、「万五郎犬」といったように呼び分けていたともいう。【本州における蝦夷の末路 喜田貞吉 青空文庫】
# 参考: 俘囚(ふしゅう)
# 日本の東北にいる異族のことを、古い時代には「毛人」と書いていた。その後、斉明天皇の時代に支那からの帰化人で遣唐使の通弁として随行した伊吉連博徳(いきのむらじはかとこ)が、初めてこの種族を「蝦夷」と書いた。由来、この日本の東北にいる蝦夷は、古くは「エミシ」、後には「エゾ」と申した。【古代蝦夷(えみし)とアイヌ 金田一京助】
# 蝦夷征討軍
・ 将軍、副将軍、軍監(ぐんげん)、軍曹
・ 大使、副使、判官(じょう)、主典(さかん)
【日本史に出てくる 官職と位階のことがわかる本 「歴史読本」編集部編】