群馬県内の諸藩 | |
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# 上野国。近藤陣屋。近藤家。譜代大名。1万5000石。慶長19年、近藤秀用が加増されて立藩した。遠江国内に転封となって廃藩。【出典】
■ 安中藩(あんなかはん): 群馬県安中市
・ 「安中」の地名
・ 1855年に安中藩で行われた「安政遠足(あんせいとおあし)」は日本最初のマラソンという。【江戸300藩の意外な「その後」 日本博学倶楽部 PHP研究所】
# 安中藩(あんなかはん): 上野国。安中城。板倉家。譜代大名。3万石。元和元年に、立藩。控間:雁間。格:城主。位階:従四位下。上屋敷:千代田区神田錦町。井伊直政の長男の直勝が病弱のため家督を異母弟の直孝に譲ると、元和元年(1615年)に安中に入封して立藩した。寛延2年(1749年)の板倉勝静からは、板倉家が六代続いて廃藩置県に。【出典】
■ 伊勢崎藩(いせざきはん): 群馬県伊勢崎市
・ 「伊勢崎」の地名
・ 1681年に前橋藩の酒井家から2万石を分知された。姫路藩の分家。
# 伊勢崎藩(いせざきはん): 上野国。伊勢崎陣屋。酒井家。譜代大名。2万石。慶長6年に立藩。控間:菊間。格:無城。位階:従五位下。上屋敷:港区新橋。慶長6年に稲垣長茂が大名に列して立藩。のちに、前橋藩主の酒井忠清の次男の忠寛が入封して、前橋藩の支藩になった。【出典】
# 伊勢崎藩士:
# 上野国。板鼻陣屋。酒井家。譜代大名。3万石。もとの藩主の里見家が勤務怠慢で改易。上野国厩橋藩主の酒井忠世の長男の忠行が立藩した。【出典】
■ 大胡藩(おおごはん): 上野国、群馬県
・ 「大胡」の地名
・ 江戸期の藩名。勢多郡大胡に居城を構えた譜代小藩。天正18年徳川家康の関東入部に伴い牧野康成が2万石を与えられて大胡城に入城し、当藩が成立した。慶長5年関ケ原の戦にあたり、康成は中山道を進む徳川秀忠軍に加わって信濃国上田城攻撃に参戦したが、軍令に背いたため上野(こうずけ)国吾妻(あがつま)の砦(白井城)に謹慎した。康成は大胡帰城後も多病のため、同9年から子の忠成が代わって政務をとり、同14年襲封した。元和2年忠成は大坂冬・夏両陣の功により越後国長嶺5万石へ加転され、当藩は廃藩となった。なお藩領は、のちの前橋藩領下で大胡東領・同西領と呼ばれた地域、赤城山南麓の勢多郡内50か村ほどと思われるが、未詳。【出典】
# 大胡藩(おおごはん): 上野国。大胡城。牧野家。譜代大名。2万石。天正18年(1590年)に牧野康成が立藩した。康成の子の忠成が越後国の長岡に転封となって廃藩。【出典】
■ 小幡藩(群馬県甘楽町)
・ 「小幡」の地名
・ 織田家が1767年に出羽国天童に転じた後、松平(奥平)家の分家が入った。
# 小幡藩(おばたはん): 上野国。小幡陣屋。奥平松平家。譜代大名。2万石。天正18年に立藩。控間:帝鑑間。格:城主格。位階:従五位下。上屋敷:千代田区六番町。天正18年(1590年)に、奥平信昌が3万石を与えられて入封した。以後、水野家、永井家、織田家を経て、明和4年(1767年)に奥平松平家が入封して廃藩置県へ。【出典】
# 上野国。上里見陣屋。奥平松平家。譜代大名。2万石。寛延元年に、篠塚藩主の奥平松平忠恒が所領を移されて上里見で立藩した。【出典】
# 上野国。篠塚陣屋。奥平松平家。譜代大名。2万石。延享4年に陸奥国の桑折藩主の奥平松平忠恒が所領を移されて篠塚で立藩した。【出典】
# 上野国。本多家。譜代大名。1万石。天正18年(1590年)に本多康重が立藩した。井伊家、西尾家を経て康重の次男の紀貞が入封した。【出典】
# 上野国。総社城。秋元家。譜代大名。1万石。天正18年に諏訪頼忠が立藩。関ヶ原の合戦後に、秋元長朝が1万石で入封した。【出典】
■ 高崎藩(群馬県高崎市)
■ 館林藩(群馬県館林市)
# 上野豊岡藩(こうずけとよおかはん): 上野国。禰津陣屋。禰津家。譜代大名。1万石。慶長7年に、禰津信政が大名になって立藩した。三代の信直に嗣子がなく、改易になって廃藩。【出典】
# 上野国。那波城。酒井家。譜代大名。1万石。天正18年(1590年)に大給松平家乗が立藩した。関ヶ原の合戦の後には、酒井忠世が1万石で入封した。【出典】
■ 沼田藩(群馬県沼田市)
■ 前橋藩(群馬県前橋市)
# 上野国。矢田陣屋。鷹司松平家。親藩。1万石。宝永6年(1709年)に、鷹司松平信清が1万石で立藩。のちに、矢田から藩庁を吉井に移した。吉井藩。【出典】
■ 吉井藩(群馬県高崎市)
【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。