井伊直政 | |
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■ 井伊直政(いいなおまさ)【出典】: 「井伊」の名字の由来
・ 1561−1602年。享年42歳(病死)。
・ 出身地: 遠江国。
・ 肩書き: 武将。
・ 家族: 子:井伊直孝。
・ 家紋: 井伊橘紋。
・ 徳川四天王の一人。直政の部隊の軍装は赤色で統一されていたため、「井伊の赤備え」と呼ばれた。豊臣秀吉との小牧・長久手の合戦では直政自身が先陣を切って奮戦して、「戦国屈指の精鋭部隊」とおそれられた。関ヶ原の合戦では本多忠勝と東軍の軍監をつとめた。戦後の直政は、政治と外交に手腕を発揮し、江戸幕府の組織作り、西軍の総大将だった毛利氏との講和などである。直政は近江国佐和山18万石を賜ったが、関ヶ原の合戦での傷が原因で破傷風となって死亡した。
# 井伊直政: 徳川四天王の一人。豊臣秀吉の母親の母親の大政所が岡崎に来たときに、大政所に気に入られて、人質の大政所を豊臣に返す際に、大政所の懇願で警護を任された。
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