本多忠勝
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■ 本多忠勝(ほんだただかつ)【出典】: 「本多」の名字の由来

・ 1548−1610年。享年63歳(病死)。

・ 出身地: 三河国

・ 肩書き: 武将。

・ 家族: 父:本多忠高。

・ 家紋: 本多立ち葵紋

・ 徳川四天王の一人。関ヶ原の合戦では、徳川家康の本陣で戦い、また諸大名を東軍に引き入れることにも尽力した。この功績で、伊勢国桑名藩10万石を賜った。

# 本多忠勝(ほんだただかつ): 徳川四天王の一人。その武勇は徳川家康からも認められ、「ただ、勝て」という意味を込めて忠勝を名乗った。信長が本能寺の変で死亡したことを、家康は泉州堺で知った。家康はあわてて信長への殉死をも考えたという。その際に本多忠勝は「殉死してでも、信長公の年来の厚志に報いようと思召すならば、ここは、いかようにしても本国の岡崎城へお戻りになり、軍勢を整えるべきでござりましょう。明智光秀を追悼されよ。光秀の首をとり、信長公の墓前に手向けてこそ、はじめて信長公のご無念も晴れ、お喜びになり、ひいては日頃のご恩返しにもなることではござりませぬか。」と言った。代表家紋


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