前橋藩
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■ 前橋藩(群馬県前橋市

・ 松平家17万石・家門

・ 松平大和守

・ 家康の関東入国後、平岩親吉、酒井重忠が入り、酒井家の四代の酒井忠清大老となり「下馬将軍」と呼ばれた。

・ 1749年に越前松平家の分家が入った。  

# 前橋藩(川越藩)の松平家の借財は1838年現在で40万両を超え、年間の返済額は3万6200両。1819年に松平斉典は財政難(表高15万石だが税収は50〜60%程度)を乗りきるために国替えを目指した。斉典は将軍徳川家斉の二十四男の紀五郎(のちの斉省)を養子に迎え、旧領の姫路への転封を願い出た。しかし、それはかなわず、2万石の加増を願い出たが、幕府にはその余裕がなかった。老中の水野忠邦は松平家の工作に従って、三方領地替を考え、庄内(山形県鶴岡)を転封先と決めた。つまり、川越藩松平家を出羽庄内(山形県鶴岡市)へ、庄内藩の酒井家を越後長岡へ、長岡藩牧野家を川越に転封という三方領地替。【出典


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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