藩(大名家) | |
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★ 江戸時代には「藩」という表現は無かったそうですが、一般に認識されている表現として、ここでは「大名家」を「藩」として取り上げます。
★ 「藩」とは、古代中国で僻地においては郡県制をしかずに軍司令官に支配させていた制度で、新井白石などが日本の大名の領国の支配に似ているとして「藩」と呼び始めた。しかし、江戸時代、この呼び方は一般化しなかった。明治維新後、長州が「長藩」と呼んでいたことがひろまったという。
★ 平均的な藩: 丹後の宮津藩。表高7万石、実高10万石。藩士の数は約800人。これが江戸時代の平均的な藩の規模だそうだ。300藩で約2400万石+幕府領約800万石+α=約3300万石。各藩の平均武士数は約50石に1人。つまり1万石の大名家で約200人。
★ 藩は豊臣秀吉の時代に成立したといえる。もともと戦国大名は、己の力で手に入れた領国で独自の支配を行っていたが、天下を統一した豊臣秀吉が土地の面積表示と田畑の等級をさだめ、全国に役人を派遣して検地を行って石高を確定した。石高が明らかになったことで、秀吉は大名を自由に他所に移すことができるようになった。【出典】
★ 藩の数: 「国史大辞典(吉川弘文館)」によると、豊臣秀吉政権末期には204家だったが、関ヶ原の合戦での改易によって、江戸幕府の成立時には185家になり、元禄4年(1691年)には243家に、そして江戸時代末期の慶応元年(1865年)には266家、廃藩置県の明治4年(1871年)には283家になった。【出典】
★ 江戸屋敷の一例: 信濃国の飯田藩(脇坂家)5万3000石では、江戸家老(定員2名)、年寄(2名)、藩主の後嗣に仕える若殿家老(1名)、若殿年寄(1名)、物頭(4名)、家老の直属軍である外記組、若殿用人(2名)、台所役(1名)、小人頭(3名)がいた。足軽隊の物頭の下には小頭3名がおり、それぞれ鉄砲組、弓組、新組(各20名)を従えた。小人頭の下にも100名の小人が付属した。【出典】
★ 大名の所領や支配組織を指す「藩」という名称は、明治維新以降に普及した。それまでは「○○家領」「○○領分」「○○家中」などと呼ばれていた。【出典】
★ 各大名の支出の内、江戸における支出の割合は5割を超えていた。【出典】
・ 弘前藩: 10万石。文化13年(1816年)の支出総額47,024両。江戸での支出割合約65%。
・ 秋田藩: 20万石。延享2年(1745年)の支出総額27,667両。江戸での支出割合約70%。
・ 長岡藩: 7万石。慶応元年(1865年)の支出総額34,550両。江戸での支出割合約75%強。
・ 加賀藩: 102万石。延享4年(1747年)の支出総額171,667両。江戸での支出割合約60%。
・ 岸和田藩: 5万石。安永5年(1776年)の支出総額9,360両。江戸での支出割合約70%。
・ 土佐藩: 24万石。天保年間の支出総額19,484両。江戸での支出割合約65%。
・ 備中松山藩: 5万石。嘉永5年(1850年)の支出総額18,000両。江戸での支出割合約80%。
・ 久留米藩: 21万石。文化12年(1815年)の支出総額58,923両。江戸での支出割合約45%。
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