奈良県内の諸藩
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■ 宇陀松山藩(うだまつやまはん)

・ 大和国。宇陀松山城。織田家。外様大名。2万8000石。慶長5年に、福島高晴が立藩したが後に改易となった。次いで、織田家も丹波柏原に転封になって廃藩。【出典

■ 興留藩(おきどめはん)

・ 大和国。興留陣屋。藤井松平家。譜代大名。1万石。貞享3年に、古河藩主の藤井松平信之の次男の信通が1万石を分知されて立藩。【出典

■ 戒重藩(かいじゅうはん)

・ 大和国。戒重陣屋。織田家。外様大名。1万石。元和元年に、織田長益の四男の長政が立藩。四代の長清が藩庁を芝村に移転した。【出典

■ 岸田藩(きしだはん)

・ 大和国。岸田家。1万石。豊臣政権下で、豊臣秀保に仕える岸田家が治めていた。しかし、関ヶ原の合戦で西軍について除封。【出典

■ 櫛羅藩(くじらはん): 奈良県御所市

■ 小泉藩(こいずみはん): 奈良県大和郡山市

・ 「小泉」の地名。

・ 片桐家1万1千石・外様・陣屋

・ 片桐家は近江国の出で、浅井家に仕え、後に羽柴秀吉に仕えた。賤ヶ岳の七本槍の一人の片桐且元の家系。

# 小泉藩士: 

# 小泉藩(こいずみはん): 大和国。小泉陣屋。片桐家。外様大名。1万6000石。控間:柳間。格:無城。位階:従五位下。上屋敷:港区西新橋。慶長6年に、片桐且元の弟の貞隆が摂津国茨木から転封になって、以後は片桐家が続いた。【出典

■ 御所藩(ごせはん)

・ 大和国。御所陣屋。桑山家。外様大名。1万2000石。慶長5年に、桑山重晴の次男の元晴が立藩。元晴の子の貞晴が嗣子なくて早世して改易。【出典

■ 芝村藩(しばむらはん): 奈良県桜井市

・ 「芝村」の地名。

・ 織田家1万石・外様・陣屋

・ 信長の弟の織田有楽斎の家系。

# 芝村藩士: 

# 芝村藩(しばむらはん): 大和国。芝村陣屋。織田家。外様大名。1万石。控間:柳間。格:無城。位階:従五位下。上屋敷:港区白金。宝永元年、戒重藩主の織田輔宣が、藩庁を大和芝村へ移転することが幕府から認められて立藩。【出典

■ 新庄藩(大和国新庄藩・やまとしんじょうはん)

・ 「新庄」の地名。

・ 永井家: 古くは長田家を称した。初代の直勝は長田が源義家を殺した家号であることから改姓を求められ、永井家を称した。上野国小幡藩1万石から常陸国笠間藩3万石、下総国古河藩7万2千石、山城国淀藩10万石と転じたが四代尚長が内藤忠勝に殺されて所領は没収された。その後大和国新庄藩1万石。明治時代には子爵。【譜代大名126家「勝ち組」の出世競争 榎本秋 晋遊舎新書】

# 新庄藩士: 

# 大和新庄藩(やまとしんじょうはん): 大和国。新庄陣屋。永井家。譜代大名。1万石。関ヶ原の合戦の後に、桑山重晴の孫の一晴が立藩。その後は、永井尚円が入封して、大和櫛羅へ。【出典

■ 高取藩(たかとりはん): 奈良県高取町

・ 「高取」の地名。

・ 植村家2万5千石・譜代大名

・ 1640年に入封した植村家は、美濃国土岐氏の一族で、後に松平家に仕えた。

・ 植村家次は、徳川家康の嫡男の信康に仕えていたが、信康の失脚後に浪人となった。その後、再度徳川家に仕え、大和国高取藩2万5千石。明治時代には子爵。【譜代大名126家「勝ち組」の出世競争 榎本秋 晋遊舎新書】

・ 土岐氏の一族が上村に転じて植村氏を称した。植村家政が、秀忠に仕え、大坂の陣の功により大番頭から老中などを務めた。【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】

# 高取藩士: 

# 高取藩(たかとりはん): 大和国。高取城。植村家。譜代大名。2万5000石。控間:帝鑑間。格:城主。位階:従四位下。上屋敷:港区芝公園。関ヶ原の合戦の後に、本多利朝が本領を安堵されて立藩。のちに、本多家は嗣子なく改易となって、寛永17年に植村家政が入封。以後、植村家が十四代続いて廃藩置県へ。【出典

■ 竜田藩(たつたはん)

・ 大和国。竜田陣屋。片桐家。外様大名。2万4000石。関ヶ原の合戦の後に、片桐且元が立藩。四代の為次が嗣子なく早世したために改易。【出典

■ 田原本藩(たわらもとはん)

・ 大和国。田原本陣屋。平野家。外様大名。1万石。明治元年に、旗本であった平野長裕が明治維新後に大名となって立藩。【出典

■ 柳生藩(やぎゅうはん)藩: 奈良県奈良市

■ 柳本藩(やなぎもとはん): 奈良県天理市

・ 「柳本」の地名。

・ 織田家1万石・外様・陣屋

・ 信長の弟の織田有楽斎の家系。

# 柳本藩士: 

# 柳本藩(やなぎもとはん): 大和国。柳本陣屋。織田家。外様大名。1万石。控間:柳間。格:城主格。位階:従五位下。上屋敷:港区芝。元和元年に、織田信長の弟の織田長益が、五男の尚長に1万石を分知して立藩。以後、織田家が続いた。【出典

■ 大和郡山藩(やまとこおりやまはん): 奈良県大和郡山市

■ 大和五条藩(やまとごじょうはん)

・ 大和国。二見城。松倉家。外様大名。1万石。関ヶ原の合戦の後に、筒井順慶の遺臣の松倉重政が立藩し、重政は肥前島原に転封になった。【出典


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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