茨城県内の諸藩
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■ 麻生藩(あそうはん): 茨城県行方市

・ 「麻生」の地名

・ 新庄家1万石・外様・陣屋

# 麻生藩(あそうはん): 常陸国。麻生陣屋。新庄家。外様大名。3万石。慶長9年に立藩。控間:柳間格:無城位階:従五位下。上屋敷:中央区日本橋関ヶ原の合戦改易になった新庄直頼が、慶長9年に大名に復帰して立藩した。【出典

# 麻生藩士: 

■ 牛久藩(茨城県牛久市)

■ 江戸崎藩(えどざきはん)
# 常陸国。江戸崎陣屋。青山家譜代大名。3万5000石。慶長8年に、青山忠成が立藩した。のちに、丹羽長重が陸奥国棚倉藩転封になって廃藩になった。【出典

■ 大輪藩(おおわはん): 茨城県常総市大輪町
# 下総国。大輪陣屋。土井家譜代大名。1万石。万治元年に、古河藩主土井利勝の五男の利直が分知されて1万石になって立藩した。【出典

■ 柿岡藩(かきおかはん): 常陸国新治郡柿岡(茨城県石岡市柿岡)
# 江戸初期の藩名。寛永元年常陸新治(にいはり)郡柿岡を本拠とする旗本稲葉正勝5000石が、真壁郡に5000石を加増され、1万石となって立藩。翌年正勝は下野国佐野に1万石を加増され、佐野に本拠を移したので廃藩。なお正勝が佐野に本拠を移さなかったとの説に従えば、正勝が父正成の遺領を継ぎ寛永5年下野真岡藩主となった。【出典
# 常陸国。柿岡城。稲葉家譜代大名。1万石。寛永元年に、下野国真岡藩主の稲葉正成の子の稲葉正勝が大名になって立藩した。【出典

■ 笠間藩(茨城県笠間市)

・ 「笠間」の地名

・ 牧野家8万石・譜代大名

・ 1747年に延岡から牧野家が入った。長岡藩の牧野家の一族。

# 井上家: 笠間藩主の庶流交代寄合から下妻藩主

# 笠間藩(かさまはん): 常陸国。笠間城。牧野家譜代大名。8万石。慶長6年に立藩。控間:雁間格:城主位階:従四位下。上屋敷:千代田区有楽町。慶長6年に松井松平康重が入封して立藩した。以後、譜代大名が交替で藩主となり、延享4年(1747年)に牧野貞通が入封後に、牧野家が廃藩置県まで続いた。【出典

# 笠間藩士: 

■ 片野藩(かたのはん)

# 常陸国。片野城。滝川家。外様大名。関ヶ原の合戦改易された織田信雄の家臣の滝川雄利が、徳川秀忠に召し出されて立藩した。【出典

■ 古河藩(茨城県古河市)

■ 小張藩(こばりはん): 常陸国筑波郡小張(現在の茨城県つくばみらい市小張)

# 常陸国。小張陣屋。松下家。外様大名。1万6000石。慶長8年に、久野藩主の松下重綱が無断で城に石垣を築いた咎で減封のうえ転封となって立藩した。【出典

■ 宍戸藩(ししどはん): 茨城県笠間市

・ 「宍戸」の地名

・ 松平家1万石・家門・陣屋

# 常陸宍戸藩(ひたちししどはん): 常陸国。宍戸陣屋。松平家。親藩。1万石。慶長7年(1602年)に立藩。控間:帝鑑の間格:無城位階:従五位下。上屋敷:文京区関口。関ヶ原の合戦の後に、秋田実季が立藩。元和2年に、水戸藩主徳川頼房の子の頼雄が分知されて再び立藩した。【出典

# 宍戸藩士: 細川家

■ 志筑藩(しずくはん)

# 常陸国。志筑陣屋。本堂家。外様大名。1万110石。慶長6年(1601年)に、出羽国の本堂茂親が入封した。明治元年に、高直しで大名になって立藩した。【出典

■ 下館藩(茨城県筑西市)

・ 「下館」の地名

・ 石川家2万石・譜代大名

・ 1732年に伊勢国神戸から石川家が入った。伊勢国亀山藩の分家。

# 下館藩(しもだてはん): 常陸国。下館城。石川家譜代大名。2万石。慶長6年(1601年)に立藩。控間:柳間格:城主位階:従四位下。上屋敷:千代田区霞が関関ヶ原の合戦の後に、水谷家が本領を安堵されて立藩した。以後、親藩・譜代の大名が続き、享保17年に家が入封した。九代にわたり、石川家が続いて廃藩置県へ。【出典

# 下館藩士: 

■ 下妻藩(茨城県下妻市)

・ 「下妻」の地名

・ 井上家1万石・譜代大名・陣屋

・ 1712年に浜松藩主の一族の井上家が入った。

# 下妻藩(しもづまはん): 常陸国。下妻陣屋。井上家譜代大名。1万石。慶長11年に立藩。控間:菊間格:無城位階:従五位下。上屋敷:港区新橋関ヶ原の合戦の後に、徳川頼房ら徳川一門の入封を経て、郡上八幡藩主の井上正任の子の正長が加増により再立藩した。【出典

# 下妻藩士:

■ 玉取藩(たまとりはん)
# 常陸国。玉取陣屋。堀家。外様大名。1万石。元和8年に、堀秀重の三男の利長が大坂の陣の功績で1万石を与えられて立藩した。【出典

■ 土浦藩(茨城県土浦市)

■ 額田藩(ぬかだはん): 常陸国。額田陣屋。松平家。親藩。2万石。寛文元年に、水戸藩主徳川頼房の四男の頼元が、2万石を分知されて立藩した。【出典

■ 府中藩(茨城県石岡市)

・ 「府中」の地名

・ 松平家2万石・家門・陣屋

・ 水戸藩徳川頼房の四男の頼隆が1700年に入った。

# 常陸府中藩(ひたちふちゅうはん): 常陸国。府中陣屋。松平家。親藩。2万石。慶長7年に立藩。控間:大広間格:無城位階:従四位下。上屋敷:文京区小石川。慶長7年に、出羽国の六郷政乗が立藩した。その後、元禄13年に水戸藩主徳川頼房の子の頼隆が2万石を分知されて再立藩した。明治2年に石岡藩と改称。【出典

# 府中藩士: 

■ 古渡藩(ふっとはん): 茨城県稲敷市古渡
# 常陸古渡藩(ひたちふっとはん): 常陸国。古渡陣屋。丹羽家。外様大名。1万石。慶長8年に、関ヶ原の合戦後に改易された丹羽長重が大名に復帰して立藩した。【出典

■ 北条藩(ほうじょうはん)
# 常陸北条藩(ひたちほうじょうはん): 常陸国。北条陣屋。堀田家譜代大名。1万3000石。元和2年に、佐倉藩主の堀田正盛の四男の正英が、加増されて大名になって立藩した。【出典

■ 保内藩(ほないはん)

# 常陸国。保内陣屋。松平家。親藩。2万石。寛文元年に、水戸藩主徳川光圀の弟の頼隆が新田2万石を分知されて立藩した。【出典

■ 真壁藩(まかべはん): 常陸国。真壁陣屋。浅野家。外様大名。5万石。慶長11年に、浅野長政が隠居した際に5万石を与えられて立藩した。のちに笠間藩に併合された。【出典

■ 松岡藩(茨城県高萩市)

・ 「松岡」の地名

・ 中山家2万5千石・譜代大名

・ 1804年に水戸藩の付家老中山家の居城となり、1868年に立藩した。中山家は武蔵国高麗郡中山の豪族の出。

# 常陸松岡藩(ひたまつおかはん): 常陸国。松岡城。中山家譜代大名。2万石。慶長7年に立藩。控間:不詳格:城主位階:従五位下。上屋敷:新宿区白銀町。関ヶ原の合戦の後に、戸沢政盛が立藩した。戸沢家転封になったのちには、水戸藩徳川家付家老の中山信正が入封した。【出典

# 松岡藩士: 

■ 松川藩(まつかわはん)

# 常陸国。松川陣屋。松平家。親藩。2万石。明治3年に、守山藩主の松平頼之が藩庁を松川に移して立藩したが、まもなく廃藩置県になった。【出典

■ 水戸藩(みとはん): 茨城県水戸市

■ 守谷藩(もりやはん): 下総国相馬郡守屋(現在の茨城県守谷市)
# 下総国。守谷城。土岐家譜代大名。1万石。天正18年(1590年)に菅沼定政が入封して、土岐家に復姓した。のちに、出羽国上山藩転封となって廃藩になった。【出典

■ 矢田部藩(茨城県つくば市)

・ 「谷田部」の地名

・ 細川家1万6千石・外様・陣屋

・ 1616年に細川家が入った。熊本藩主細川家の一族。

# 谷田部藩(やたべはん): 常陸国。谷田部陣屋。細川家。外様大名。1万6000石。元和5年に立藩。控間:柳間格:無城位階:従五位下。上屋敷:千代田区岩本町。元和2年に、下野国の茂木藩主の細川興元が常陸国内に加増を受けて、元和5年に興元の子の興昌が藩庁を谷田部に移して立藩した。明治3年に、藩庁を茂木に戻した。【出典

# 谷田部藩士: 

■ 結城藩(ゆうきはん): 茨城県結城市

・ 「結城」の地名

・ 水野家1万8千石・譜代大名

・ 水野家の本家?

# 結城藩(ゆうきはん): 下総国。結城城。水野家譜代大名。1万8000石。天正18年(1590年)に立藩。控間:帝鑑間格:城主位階:従五位下。上屋敷:港区赤坂。徳川家康の子の結城秀康が立藩。天領を経て元禄13年に、水野勝長が入封して再立藩して廃藩置県に至る。【出典

# 結城藩士: 

■ 龍ケ崎藩(りゅうがさきはん): 常陸国。龍ケ崎陣屋。米津家譜代大名。1万1000石。明治4年に、大網藩主の米津政敏が藩領を常陸国などに集約されたため藩庁を移転した。【出典


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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