静岡県内の諸藩 | |
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・ 遠江国。井伊谷陣屋。近藤家。譜代大名。1万5000石。元和5年、近藤秀用が立藩。その後、秀用が庶子にも所領を分知したため廃藩。【出典】
■ 掛川藩(かけがわはん): 静岡県掛川市
■ 小島藩(おじまはん): 静岡県静岡市
・ 「小島」の地名。
・ 1704年に滝脇松平家が入った。
# 駿河国。小島陣屋。滝脇松平家。譜代大名。1万石。元禄11年(1698年)に立藩。控間:菊間。格:無城。位階:従五位下。上屋敷:文京区春日。瀧脇松平信孝が大名になって、元禄11年に信孝の養子の信治が駿河国の小島1万石に移されて立藩。【出典】
# 小島藩士:
・ 遠江国。掛塚陣屋。加賀爪家。譜代大名。1万5000石。寛永18年に、加々爪直澄が立藩した。直澄の養嗣子の直清が境界争論に敗訴して改易。【出典】
・ 駿河国。川成島陣屋。本郷家。譜代大名。1万石。安政4年(1857年)に、若年寄の本郷泰固が立藩。しかし、職務怠慢の咎で罷免されて改易。【出典】
・ 駿河国。興国寺城。天野家。譜代大名。1万石。関ヶ原の合戦の後に、天野康景が立藩。天領の農民を殺害した足軽を擁護して出奔して、改易となった。【出典】
■ 相良藩(さがらはん): 静岡県牧之原市
・ 駿河国。駿府城。徳川家。親藩。55万石。慶長6年(1601年)に立藩。格:城主。位階:従二位。内藤信成が立藩したのち、徳川家康が駿府に隠居し、徳川頼宣・徳川忠長が藩主になった。その後は天領になって、明治2年(1869年)に、徳川家達が70万石で入封して静岡藩に改称した。【出典】
■ 田中藩(たなかはん): 静岡県藤枝市
・ 「田中」の地名。
・ 1730年に沼田から入封。本多正信の弟の正重の子孫。
# 駿河国。田中城。本多家。譜代大名。4万石。慶長6年に立藩。控間:雁間。格:城主。位階:従四位下。上屋敷:千代田区内神田。酒井忠利が立藩。酒井家・堀田家・松平家・柳沢家などの譜代大名が入封。享保15年(1730年)の本多正矩からは本多家が入り、明治元年に安房国長尾に転封となった。【出典】
・ 遠江国。久野城。北条家。譜代大名。1万石。天正18年(1590年)に松下之綱が立藩。その後、北条氏重が下野国富田から1万石で入封。【出典】
■ 沼津藩(ぬまづはん): 静岡県沼津市
■ 浜松藩(はままつはん): 静岡県浜松市
・ 遠江国。堀江陣屋。大沢家。譜代大名。1万石。明治元年に、旗本の大沢基寿が石高を詐称して立藩したが、露見して廃藩。【出典】
# 駿河国。松長陣屋。大久保家。譜代大名。1万6000石。宝永3年(1706年)に、小田原藩主の大久保忠朝の子の教寛が大名になって立藩。のちに萩野山中に藩庁を移転した。【出典】
■ 横須賀藩(よこすかはん): 静岡県藤枝市
【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。