本多家の人々
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■ 本多家

# 「本多」の名字の由来

# 本多忠勝: 徳川四天王の一人。その武勇は徳川家康からも認められ、「ただ、勝て」という意味を込めて忠勝を名乗った。信長が本能寺の変で死亡したことを、家康は泉州堺で知った。家康はあわてて信長への殉死をも考えたという。その際に本多忠勝は「殉死してでも、信長公の年来の厚志に報いようと思召すならば、ここは、いかようにしても本国の岡崎城へお戻りになり、軍勢を整えるべきでござりましょう。明智光秀を追悼されよ。光秀の首をとり、信長公の墓前に手向けてこそ、はじめて信長公のご無念も晴れ、お喜びになり、ひいては日頃のご恩返しにもなることではござりませぬか。」と言った。代表家紋

# 本多正純: 本多正信の子で、「宇都宮釣り天井事件」で改易になったとの俗説がある。出羽国最上家最上義俊の領国受け取りに、出羽国村山に出向いた際に、突然やってきた幕府の使者に「謀反」を追求され、改易。出羽国由利に流され、ついで出羽国横手の佐竹家にお預けになった。

# 本多正信: 正信は1538年に俊正の子として三河国で生まれた。小さい頃から家康に仕えていたが、若いときは貧しく、1563年の三河の一向一揆の時に家康に離反し、一向一揆勢の軍師を務めた。た。その後松永久秀のもとに身をよせたり、加賀国越後国を流浪した。その後家康のもとに帰参した。


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