本多家の人々
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■ 本多家

# 「本多」の名字の由来

# 本多忠勝(ほんだただかつ)

# 本多正純(ほんだまさずみ): 本多正信の子で、「宇都宮釣り天井事件」で改易になったとの俗説がある。出羽国最上家最上義俊の領国受け取りに、出羽国村山に出向いた際に、突然やってきた幕府の使者に「謀反」を追求され、改易。出羽国由利に流され、ついで出羽国横手の佐竹家にお預けになった。
・ 1565−1637年。本多正信の嫡男。父の本多政信と同様に徳川家康に重用され、武家諸法度の制定など徳川幕府の基礎固めに貢献した。徳川秀忠の怒りをかって、配流されたが真相は不詳。【出典

# 本多正信(ほんだまさのぶ): 正信は1538年に俊正の子として三河国で生まれた。小さい頃から家康に仕えていたが、若いときは貧しく、1563年の三河の一向一揆の時に家康に離反し、一向一揆勢の軍師を務めた。た。その後松永久秀のもとに身をよせたり、加賀国越後国を流浪した。その後家康のもとに帰参した。
・ 1538−1616年。徳川家康に仕えていたが、三河の一向一揆では一揆側について、家康のもとを離れた。その後、帰参を許された後には、家康の参謀として大きな信任を得て行政全般に辣腕を振るい、政敵であった大久保忠隣を失脚させた。【出典


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