掛川藩 | |
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■ 掛川藩(かけがわはん): 静岡県掛川市
・ 「掛川」の地名。
・ 1746年に上野国の館林から太田家が移ってきた。この太田家は、太田道灌の子孫が徳川家康に仕え、その後に大名になった。
・ 太田家(遠江国掛川藩): 太田道灌の家系。太田重正の妹のお梶の方が家康の側室となった。下野国山川藩1万5600石から三河国西尾藩3万5千石。その後、駿河国田中藩、陸奥国棚倉藩、上野国館林藩、遠江国掛川藩5万石へ。明治時代には子爵。【譜代大名126家「勝ち組」の出世競争 榎本秋 晋遊舎新書】
# 遠江国。掛川城。太田家。譜代大名。5万石。慶長6年に立藩。控間:雁間。格:城主。位階:従四位下。上屋敷:千代田区大手町。久松松平定勝が立藩した後に、譜代大名が交替で入封した。延享3年(1746年)に太田資俊が入封してからは太田家が七代続いた。明治元年に、上総国芝山(松尾)に転封になった。【出典】
【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。