館林藩
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■ 館林藩(群馬県館林市)

・ 「館林」の地名

・ 秋元家6万石・譜代大名

・ 1845年に出羽国山形から入封。「群馬県館林の暑さは山形産(笑)

・ 榊原康政: 徳川四天王の一人。三方原の戦いで大敗した徳川軍の中で、孤軍武田軍に奇襲作戦を行ったので有名。徳川家康の関東入国後、上野国館林城主(10万石)。

・ 1845年に館林に転封してきた秋元志朝(ゆきとも)は長州藩主の毛利定広の実の兄だった。さて、佐幕につくか、勤皇につくか難しい選択を迫られた。結局、館林藩は千人を超える派兵を行い、戦後には1万両を超える恩賞をもらった。

# 館林藩(たてばやしはん): 上野国。館林城。秋元家譜代大名。6万石。天正18年に立藩。控間:雁間格:城主位階:従四位下。上屋敷:千代田区丸の内。天正18年(1590年)に、榊原康政が10万石で入封して立藩。五代将軍になった徳川綱吉も一時藩主をつとめた。譜代大名が入封し、弘化2年(1845年)に秋元家が入封して廃藩置県に至る。【出典

# 館林藩士: 岡谷家 ・ 向坂家 ・ 高山家 ・ 田山家 ・ 本庄家 ・ 柳沢家 ・ 渡辺家


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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