柳沢吉保
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■ 柳沢吉保(諱): 「柳沢」の名字の由来

・ 柳沢家

・ 1658年〜1714年

・ 別名: 松平吉保(よしやす)

・ 通称: 弥太郎

・ 号: 保山

・ 階位: 左近衛少将・美濃守

・ 五代将軍徳川綱吉側用人。六義園を作ったので有名。

・ 柳沢家は、徳川綱吉が館林藩主だった頃からの家臣で、1680年に32歳の時に側用人になった。1701年に、徳川綱吉から「松平」の姓と、「吉」の字を賜り、柳沢保明(やすあき)から松平吉保となった。甲府藩主15万石。1694年には武蔵国川越藩主となった。新田開発や荻生徂徠の登用など。隠居後には大和国郡山藩へ転封。

・ 武蔵国川越藩主。五代将軍徳川綱吉側用人をつとめ、名園と言われる六義園を作った。1695年に吉保は別邸地として武蔵国豊島郡染井村に4万5千坪を賜り、7年をかけて造成した。吉保は1658年に江戸市ヶ谷の生まれ。父親の安忠は当初は駿河大納言忠長に仕えていたが、忠長が死んだ後、上野国館林藩主徳川綱吉に仕えた。

・ 柳沢吉保(保明)の父親の安忠は350小十人組だった。徳川綱吉が館林に入部したときに小納戸役として随行した。保明は9歳で召し出された。【参考: 考証 大奥 稲垣史生】


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