徳川綱吉 | |
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■ 徳川綱吉(とくがわ つなよし)【誰も書かなかった徳川家の謎 小泉俊一郎 中経文庫】
・ 1646年〜1709年。
・ 江戸幕府の五代将軍。
・ 「徳川(苗字)+「綱吉(諱)」
・ 幼名: 徳松。
・ 通称: 右馬頭(うまのかみ)
・ 階位: 従一位太政大臣
・ 院号: 常憲院
・ 「犬公方」として有名で、「生類憐れみの令」を出した。当時、犬は死肉や残飯を食べる、必要悪的な存在で、野犬が町にあふれて人を襲っていた。また母子健康法ともいえる定めも作った。「妊婦と三歳以下の子供は、庄屋・町役人が管理・保護する。」
・ 譜代大名だけによる幕閣政治にくさびをうち、不正を働く悪代官50名余りを処分した。
・ 五代将軍綱吉の身長は124cmだったらしい、二代将軍徳川秀忠で160cm。綱吉 は小人症だったという。
■ 徳川綱吉(とくがわつなよし)【出典】
・ 1646ー1709年。享年64歳(病死)。
・ 出身地: 江戸(東京都)
・ 肩書き: 江戸幕府五代将軍
・ 家族: 父:徳川家光
・ 家紋: 三つ葵紋
・ 三代将軍の徳川家光の四男。兄の徳川家康家綱が跡継ぎのいないまま死去したため、1680年に綱吉が35歳で五代将軍になった。綱吉は堀田正俊を大老にして、越後国(新潟県)の高田藩で継承問題がおきると厳粛な裁定を下したり、諸藩の政治の監査、幕府の会計監査のための勘定吟味役を設置するなど、将軍の権威向上と財政刷新につとめた。大老の堀田正俊が刺殺されてから、綱吉は老中をおかずに側用人の柳沢吉保らを重用したため幕政が混乱した。
・ 主な施策: 皇室の所領を増やした。湯島に昌平坂学問所を建てた。生類憐れみの令。
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