柳沢家
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■ 柳沢家(やなぎさわけ): 「柳沢」の名字の由来 

# 柳沢家(大和国郡山藩

・ もとは甲斐国武田家の家臣で、武田家が滅亡後に徳川家に仕えた。柳沢安忠は三代将軍家光の弟の駿河大納言徳川忠長に仕えていたが、忠長が失脚後に浪人となり、上野国館林藩主だった徳川綱吉に仕え、勘定頭を務めた。安忠の嫡男の吉保は530石の石高を継いで、綱吉が西の丸の入ると、それに同行して小納戸役となった。元禄元年に側用人として1万2千30石で大名となる。6年後には武蔵国川越藩7万2千30石。その後15万石まで加増され甲斐国甲府藩へ。その後、大和郡山藩15万1200石。明治時代には伯爵。越後国の黒川藩と越後国の三日市藩は分家。【譜代大名126家「勝ち組」の出世競争 榎本秋 晋遊舎新書】

# 柳沢吉保

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