静岡県内の「村松」の名字の詳細 | |
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■ 県内20位: 村松(むらまつ)
# 静岡県内では、西部に多く見られる。【出典】
# 遠江国の村松氏は藤原氏流で、山名郡村松村(袋井市)発祥といい、三位中将藤原茂氏が806年に越後国村松から山名郡村松村(袋井市)に来住したのが祖といわれる。茂氏の後裔の村松源左衛門尉茂堯の子の源左衛門茂国は徳川家康に仕え、天正年間に浅羽(浅羽町)の代官になった。子孫は宇刈七騎と呼ばれた郷士で中村(袋井市)、市場村(春野町)の大庄屋を務めた。【出典】
# 掛川の村松氏は掛川藩主の山内氏が土佐国に転封となった際に、随従して移住したが、一族の子孫には江戸時代末期に、掛川藩の御抱画師の村松笠斎がいた。【出典】
# 榛原郡勝間田庄(榛原町)の村松氏は勝間田城主に仕え、応仁年間に勝間田氏が今川義忠に攻められて、滅亡してからは富士の根方に転じたが、再び郷里に帰住して代々重兵衛を称して庄屋を務めた。【出典】
# 駿河の村上氏は富士郡大領の富士道時の弟の範時が、村松に住んで村松次郎を称したという。戦国時代に、武田氏に属した安倍谷土着の士に村松藤左衛門がおり、花沢城主の小原肥前守鎮実に従った村松藤右衛門は落城後に、八楠村(焼津市)に住んで、子孫の村松藤吉郎は父親の仇を討ち、その孝心を賞されて後に田中藩(藤枝市)に召し抱えられた。【出典】
※ 越後国村松から来住した藤原茂氏が遠江国山名郡村松に住んで村松氏を称した?それなら、越後国村松はどういう意味を持つのか?
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