「山内・山之内」の名字の由来 | |
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■ 山内(やまうち、やまのうち)
【2023/05/23:改編】
# 112位
# 代表家紋
# 山内氏: 丸に山内三つ柏紋。藤原秀郷の佐藤氏の出。【出典】
# 「山の中」「山の内側」という地形由来の名字。
# 比較的東北地方に多くみられる。
# 相模国鎌倉郡山内荘(神奈川県鎌倉市山ノ内)をルーツとし、藤原北家秀郷流で、後に安芸国の山内氏になる。
# 土佐藩主の山内(やまうち)一豊も同族。山内一豊の山内家は首藤家の出と称する。相模国山内をルーツとし、山内一門のうち丹波に移り住んだ貞通の流れは阿波国を経て尾張国に移り住み、尾張の北半分を預かる守護代で岩倉城主の織田家の重臣となり、織田家が滅んだ後、近江に移り住んで織田信長に仕えた。山内一豊の家紋。
# 平安末期から戦国時代にかけて丹波国船井郡にみられた山内荘(やまのうちのしょう)須智村に永禄年間に芋毛氏や山内氏の名がみえる。この山内氏は当地を本拠とし、江戸期の土佐藩主の山内家はその後裔であるとする説もある。【出典】
# 山内首藤家: 山内氏の祖は美濃国席田郡の郡司を務めていた守部氏の後裔であると考えられており、平安時代後期に藤原氏を名乗り、藤原秀郷の後裔を称するようになった。資清の代になって首藤氏を名乗り、源氏の郎党となった。資清の子資通は源義家に従って後三年の役で活躍したが、資通の曾孫山内俊通が相模鎌倉郡山内庄を領した際に山内姓を名乗り、山内首藤氏と呼ばれるようになった。【Wikipediaより】
# 会津の山内氏も同族。
# 沖縄の山内氏は越来間切山内村(沖縄県沖縄市)をルーツとする。
# 佐藤氏の祖の公清から四代後の俊通(としみち)が相模国鎌倉郡山内庄を領したのに由来する。
# 相模国鎌倉郡山内壮(神奈川県)発祥で、藤原北家の藤原秀郷の流れの山内氏、土佐(高知県)藩主の山内が有名。ただし、土佐藩主の山内は尾張国の出。
# 福島県の山内家
# 静岡県の山内家
# 兵庫県の山内家
# 広島県の山内家
# 元女子バレーの山内美加は秋田県由利本荘市の出身。
# 山内家
# 山内一豊
# 「内」のつく名字。
# 「山」のつく名字。
■ 山之内(やまのうち)
【2022/02/04:新載】
# 鹿児島県の名字。宇多源氏の佐々木氏の出。1213年に清綱が大隅国桑原郡に下向して、宮之城城に拠った。1320年に綱季のときに備前国賀陽郡山之内荘(岡山県)に転じて山之内氏を称した。1516年に綱忠のときに再び阿多郡に転じ、島津忠良に仕えた。江戸時代、嫡流は山伏になった。【出典】
# 「内」のつく名字。
# 「山」のつく名字。
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