高知県内の「山内」の名字の詳細 | |
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■ 山内(やまうち): 高知県の山内(やまうち)家
# 高知県の山内(やまうち)家: 土佐藩主。藤原北家秀郷流で相模国の山内家の子孫を称す。【家紋:丸に土佐柏紋】明治維新後には侯爵。【出典】
・ 土佐藩主。「やまのうち」と呼ばれることが多いが、正しくは「やまうち」である。藤原北家秀郷流で山内首藤家の一族。尾張岩倉城主の織田信安の家老だった山内盛豊は1559年に信長に敗れて長男の十郎と共に戦死。二男の一豊は各地を転々とした後に豊臣秀吉に仕え、近江長浜2万石を経て、遠江掛川6万石へ。関ヶ原の合戦では東軍に属し、戦後土佐国一国で20万2600石となった。幕末、豊信(容堂)は公武合体派の大名として活躍した。明治時代には侯爵。分家に麻布山内家(高知新田藩主)がある。また、容堂の実弟の豊積は藩主に代わって京都で活躍し、1889年には男爵。子の豊政は貴族院議員を務めた。また、豊信(容堂)の長男の豊尹も分家して1884年に男爵から子爵。三男の豊積も分家して男爵となった。【出典】
・ よく、「やまのうち かずとよ」と言いますが、正式には「やまうち」読みのようです。
# 山内はなんと読むか?
・ 「山内一豊(やまのうち・かずとよ)」とか「山内容堂(やまのうち・ようどう)」とか「やまのうち」読みに慣れていますが、土佐の山内家の読み方は「やまうち」読みなんだそうです。ちなみに「山内一豊」の「一豊」は「かつとよ」読みが正しいそうです。
・ 参考
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