丹波国 | |
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# 旧山陰道。
# 太閤検地での石高: 27万石。【戦国大名県別国盗り物語 八幡和郎 PHP文庫】
# 延喜式による国力順位(納税額による)【本当は面白い「日本中世史」 八幡和郎】。丹波国は32位。
# 「丹波」の名字
# 丹波国: 古くは「田庭(たには)」と呼び、伊勢神宮に奉る米庭(こめにわ、神田)。
# 丹波国: 丹波国の一の宮は出雲大神宮。
# 古くは「たには」とも言い、旦波(古事記,開化天皇段など)・但波(倭姫命世記)・丹婆(大同類聚方)などとも書いた。
# 由来について「倭訓栞」は「谷端の義なるべし、四方に山々重なれり、今たんばと呼るは、文字によりて正意を失へるなるべし」とし、「諸国名義考」は「名義は田庭なるべし、度会の外宮の豊受大神、此国にましまして,内宮の皇大御神の朝夕の大御食奉り給ふ故,しかおひし名なるべし……庭とは平かに広きをいふ」とある。
# 丹波の名称は古くは丹波・丹後・但馬を中心とする山陰地方一帯を象徴する地名であった。「古事記」に見える四道将軍の1人丹波道主命はそれを示していよう。【出典】
■ 氷上郡(ひかみ): 古代から丹波国にみられる郡名で「ひがみぐん」ともいった。郡名は、氷の川(現加古川)の上流の意により、氷上町氷上が由来地といわれ、「氷上郡志」はここに郡衙が置かれたとする。丹波山地の西端に位置し、氷上盆地を北へ由良川支流竹田川とその支流黒井川が、南へ加古川が流れる。同川の支流高谷川と黒井川の先端とは郡の中央部石生(いそう)の水分(みわかれ)で谷中分水界となり、本州で最も低い中央分水界となっている。【出典】
# 続日本紀・文武天皇元年(697年): 9月3日: 京人(みやこびと)の大神大網造百足(おおみわおおよさみのみやつこももたり)の家に嘉稲(めでたいいね)が生え、近江国は白いスッポンを献上し、丹波国は白い鹿を献上した。
# 続日本紀・文武天皇4年(700年): 2月8日: 丹波国に命じて錫を献上させた。
# 続日本紀・大宝元年(701年): 3月26日: 丹波国で3日間地震が続いた。