相良藩 | |
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■ 相良藩(静岡県牧之原市)
・ 「相良」の地名。
・ 1758年に田沼意次が1万石で入封。その後最盛期には5万7千石まで増加した。田沼意次が失脚後に陸奥国下村に移され、1823年に再入封。
・ 田沼家(遠江国相良藩): 田沼家は、もとは紀州徳川家に仕えていた陪臣だが、徳川吉宗が将軍となったのに従って幕臣となった。田沼意次は享保15年に、西の丸小姓として吉宗の子の家重に仕え、家重が九代将軍になると本丸小姓から小姓組番頭格、小姓組番頭、側衆と出世した。1758年に大名となり、1767年に遠江国の相良藩2万石。徳川家斉が将軍になると、松平定信により所領を没収、蟄居謹慎となった。幕末には上総国の小久保藩1万石。明治時代には子爵。【譜代大名126家「勝ち組」の出世競争 榎本秋 晋遊舎新書】
# 遠江国。相良陣屋。田沼家。譜代大名。5万7000石。宝永7年(1710年)に立藩。控間:菊間。格:無城。位階:従四位下。上屋敷:千代田区飯田橋。伊保藩主の本多晴が立藩。田沼意次の時代には城主格となった。明治元年に、上総国の小久保に転封。【出典】
# 相良藩士:
【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。