神奈川県内の諸藩
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■ 小田原藩(おだわらはん): 神奈川県小田原市

■ 萩野中山藩(はぎのなかやまはん): 神奈川県厚木市

・ 大久保家1万3千石・譜代大名・陣屋

・ 1706年に小田原藩から分知された。

・ 萩野中山藩は小田原藩の分家。まぁ、支藩は本藩の意向に従うケースが多いが、萩野中山藩は小田原藩と同様に新政府軍につく決定をした。しかし、小田原藩が裏切って新政府軍を攻撃。その後小田原藩はふたたび新政府軍に恭順したが、藩主は蟄居、家禄は没収となった。萩野中山藩は本家を救う動きをしたが、最終的には知行を11万3千石から7万5千石に減知された小田原本藩を嗣いだ。

・ 相模国。萩野山中陣屋。大久保家譜代大名。1万3000石。天明3年に立藩。控間:菊間格:無城位階:従五位下。上屋敷:港区六本木。大久保忠朝の子の教寛が大名になって、天明3年(1783年)に、駿河国の松永から藩庁を荻野山中に移して立藩。【出典

# 荻野中山藩士: 

■ 金沢藩(神奈川県横浜市)

・ 「金沢」の地名

・ 米倉家1万2千石・譜代大名

・ 米倉家は当初は武田家に仕えたが、後に旗本となりその後大名となり1722年に下野国皆川から入封した。

・ 金沢六浦藩(かなざわむつうらはん): 武蔵国。六浦陣屋。米倉家譜代大名。1万2000石。享保8年に立藩。控間:菊間格:無城位階:従五位下。上屋敷:千代田区飯田橋。享保8年に、下野国皆川藩主の米倉忠仰が武蔵国金沢に陣屋を移して立藩。明治2年に六浦藩に改称した。【出典

# 金沢藩士: 坂田家

■ 玉縄藩(たまなわはん)

# 相模国。玉縄陣屋。大河内松平家譜代大名。2万石。天正18年(1590年)に本多正信が立藩。大河内松平正久が上総国大多喜藩転封となって廃藩。【出典】  

■ 深見藩(ふかみはん)

# 相模国坂本家譜代大名。1万石。元和2年に、坂本重治が大名になって立藩したが、五代将軍徳川綱吉の勘気を蒙り廃藩。【出典


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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