大多喜藩 | |
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■ 大多喜藩(おおたきはん): 千葉県大多喜町
・ 「大多喜」の地名。
・ 1703年に入封。豊橋藩の分家。
・ 幕末の鳥羽・伏見の戦いで幕府軍総督を務めたのは大多喜藩主で老中格の大河内正質(まさただ)。三河国大河内の出。正質は養子で、奏者番から若年寄を経て老中格となった。鳥羽・伏見の戦いでの敗戦後、正質は下総国の佐倉藩に預けられ幽閉されたが後に許された。
# 上総国。大多喜城。大河内松平家。譜代大名。2万石。天正18年(1590年)に立藩。控間:雁間。格:城主。位階:従五位下。上屋敷:千代田区神田錦町。豊臣秀吉の小田原攻めの後、本多忠勝が10万石で入封して立藩。その後は、阿部家・稲垣家を経て元禄16年(1703年)に大河内松平正久が入封してからは松平家が廃藩置県まで。【出典】
# 大多喜藩士:
・ 上総国。阿部家。譜代大名。1万6000石。慶安4年に岩槻藩主の阿部重次の子の正春が立藩し、その後宗藩を継いだため、廃藩。【出典】
【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。