「かがつめ」の名字の由来 | |
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■ 加々爪(かがつめ)
【2024/03/23:改編】
# 「体族」の名字。
# 加賀国河北郡加賀爪村(石川県津幡町)をルーツとする。
# 遠江国の豪族で、藤原流の上杉朝定の子孫の忠定が称した。後世、今川氏や徳川氏に仕えた。代表家紋は「九曜紋」「竹に雀紋」「桐紋」。【出典】【家紋のデータ】
# 藤原北家の上杉氏の支流で、駿河国発祥か?現在は、滋賀県などに見られる。【出典】
# 静岡県の加々爪家
# 藤原北家の上杉氏の庶流で、駿河国発祥か。上杉満定の子の政定が加々爪氏を称した。今川氏に仕えて、遠江国山名郡山名荘新池郷(静岡県)を領した。政豊のときに徳川家康に仕え、直澄は武蔵国高坂藩1万石を立てたが、1681年に断絶した。【出典】
# 遠江国山名郡の国人。八条上杉氏の庶流。上杉満定の子の政定が今川範政の養子となって駿河国に住み、加々爪氏を称したのが祖という。代々今川氏に仕えて、山名郡山名荘新池郷(静岡県袋井市新池)を領した。1568年に、政豊は今川家を離れて徳川家康に仕えた。子の政尚は1592年に武蔵国高坂(埼玉県東松山市)で3000石を与えられたが、1596年に伏見で大地震に遭って圧死した。忠澄は関ヶ原の合戦では徳川秀忠に従い、戦後も江戸町奉行、大目付を歴任して9500石を知行した。その子の直澄は1661年に寺社奉行となって1万石を知行し、遠江掛塚藩を立藩した。直澄は旗本の水野十郎左衛門とともに無頼を働いた、かぶき大名としても知られる。1681年に二代藩主の直清のときに、旗本の成瀬正章と境界論争が生じ、書類の不備などから所領が没収された。【出典】
# 現在は滋賀県などにみられる。【出典】
# 加賀爪(かがつめ)とも書いた?
# 「加」のつく名字
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