「米津」の名字の由来
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■ 米津(よねつ、よねづ、よねきづ)

【2019/02/16:改編】

# 愛知県を中心に関東地方南部から四国地方にかけてまとまってみられる。

# 三河国碧海郡米津(愛知県西尾市米津町)をルーツとする。

# 米津家(出羽国長瀞藩
・ 松平清康の時代から松平家に仕え、米津田政(たまさ)が二代将軍秀忠の時代に町奉行(江戸町奉行)を務めた。その嫡男の田盛(たもり)は甲府在番から小姓組番頭、書院番頭、大番頭大坂城番とすすみ1万5千石を与えられた。田盛の嫡男の政武は武蔵国久喜藩1万2千石。五代通政は出羽国長瀞藩1万1千石。幕末には奥州列藩同盟に加わらなかったため鶴岡藩の攻撃を受けて長瀞の陣屋は焼失した。明治時代には子爵。【譜代大名126家「勝ち組」の出世競争 榎本秋 晋遊舎新書】

# 愛知県西尾市米津町仲之畑1番地1に名鉄西尾線の米津駅(よねづえき)がある。

# 米津(よねづ): 愛知県西尾市米津町
・  矢作(やはぎ)川下流右岸に位置する。地名の由来は、地形的に見て入江の港、江の津が転訛したとみられる。また米を津出した浦であったため、「こめつ」が「よねつ」となったとも伝える。中世には米津氏の米津城があったが、位置は定かでない。【角川日本地名大辞典】 

# 江戸時代の初めの町奉行の米津勘兵衛田政は「よねづ」読み。【江戸の名奉行 43人の実録列伝 丹野顯 文春文庫】
※ どうなんでしょう?本当に「よねづ」読み?間違いだと思うよ。

# 米津田政は徳川秀忠に属し、上田城攻めで活躍し、江戸町奉行になった。田政の子の田盛(たもり)は1666年に大坂城番となり摂津・河内などで1万5千石。その後、武蔵国久喜から、1798年に出羽国長瀞。明治維新後には、上総国大網から常陸国竜ケ崎へ。【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】

# 米津(よねつ、よねづ、よねきつ): 静岡県浜松市南区米津町(よねづちょう)。愛知県西尾市米津町(よねづちょう)。徳島県徳島市川内町米津(よねつ)。愛媛県大洲市米津(よねづ)。

・ 米の集散地、またその荷積み港。西尾市の米津は米の他に材木も積み出したので、「ヨネキツ」とも呼んだ。【地名苗字読み解き事典 丹羽基二 柏書房】

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