「浜松」の地名の由来
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■ 浜松(はままつ): 北海道根室市浜松

・ もとは根室市大字昆布盛村の一部、コンブモリ・瀬臥牛(せふせうし)・セフシウス。かつては瀬臥牛と称した地域。アイヌ語のシュムシュムウシ(鯨油を搾りし処)にちなみ、のち「せふせうし」と変化したようであるが、発音・表記がしにくいので浜松と変えたという。【出典】  

■ 浜松(はままつ): 北海道二海郡八雲町浜松

・ 地名の由来は、竹内農場の事務所跡周辺に多くの黒松が植えられていることにちなんだ。明治4年7戸・14人がオコツナイ地区に集団入植。同15年頃に離散。明治9年竹内幸輔が当地へ移転、漁場を経営。同18年竹内農場を創設。【出典

■ 浜松(はままつ): 静岡県浜松市

・ 戦国期に見える地名。敷智郡のうち。元亀元年に徳川家康は岡崎から当地に城を移したが、その頃から浜松の名が浜松荘に代わり文献の上に頻出するようになる。家康の浜松移転については「当代記」は「六月見付ヨリ浜松エ家康公移リ給フ」とあり、「家忠日記増補」では「正月遠州浜松ノ城営構既ニ成テ、大神君是ニ移リ給フ」とある。家康は当初は見付に城を築きかけていたが、すでに引間の市、引間の宿として発展し、遠江の流通経済の中心地であった浜松に目をつけ、飯尾氏の居城であった引間城の地に浜松城を築いて入城した。以後浜松の名が一般化し、引間の名は次第に見えなくなる。なお、阿仏尼の「十六夜日記」建治3年10月22日の条には「こよひはひくまのしゆくといふところにとゞまる、このところのおほかたの名は、はま松とぞいひ」と見え、「おほかたの名」とあるように鎌倉期から広域地名として見える。【出典

・ 浜松郷: 平安期に見える郷名。「和名抄」遠江国敷智(ふち)郡十一郷の1つ。東急本の訓は「波万万都」。高山寺本では「浜津」に作る。伊場遺跡出土の木簡にも「浜津郷」と記したものがある。そこで、古くは浜津といい、のちに浜松となったという考えもあるが、「万葉集」にも「はままつ」の地名が見え、浜松と浜津が時期的に並存していることから、「浜津」はもとより「ハママツ」とよみ、8世紀には「浜馬津」と書いたのではないかと推定し、当時の地名は2字の好字をあてるという方針から「馬」が脱落したとする説がある。この説で「浜松」を「浜馬津」とする理由としては、馬津と呼ばれるものが当時川の付近に存在した例があり、ここは天竜川の馬津と考えられる。さらに当時の浜松郷かその付近にあったと思われる伊場遺跡から馬や津に関する木簡・墨書土器が見られることなどをあげる。【出典

・ 浜松(はままつ): 万葉集に「波麻末都(はままつ)」とあり、奈良時代には「浜馬津」と書いた。当時は海岸線が今よりもずっと内陸にあったという。当地は「曳馬(ひくま)」とも呼ばれたが、家康がこの地に入部した元亀元年(1570年)に、浜辺に美しい松が並んでいることにちなんで「浜松」とした。【出典

・ 静岡県浜松市。古代の和名抄における、遠江国敷智郡浜松郷。木簡等古記録に、「浜津」とあり、原型はハマツであったらしい。後に好字の「松」をあて、ハママツになったと考えられる。ハマツは、ハマ(浜)・ツ(接尾語または港)という地名。【出典

・ 浜松駅(はままつえき): JR東海・東海道本線。静岡県浜松市中央区砂山町。

・ 浜松藩

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