「有楽町」の地名の由来
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■ 有楽町(ゆうらくちょう): 東京都千代田区有楽町

・ 有楽町の由来。信長の弟の織田有楽斎明治五年に有楽町という地名が出来た。

・ 慶長年間(1596〜1615年)に織田信長の弟の織田長益(有楽斎)の屋敷があったことにちなむ。【東京の地名 地形と語源をたずねて 筒井功 河出書房】

・ 南町奉行所は有楽町マリオンの場所にあった。

・ 「織田有楽斎の屋敷があった」は、誤り。このあたりは、慶長8年に埋め立てられ、町人町や幕府公用施設が多く、大名家の屋敷があったのはおかしいしその記録にも乏しい。数寄屋橋から織田有楽斎を連想したとも言われる。

・ 織田有楽斎の屋敷があったという資料はないが、「遊楽ヶ原」という地名は江戸の絵図に載っており、これをもとに有楽町となったのは間違い無いようだ。

※ しかし、以下のような記述もある。
・ 町名は慶長年間織田有楽斎の屋敷があったことにちなむ。古くは入江に沿った漁師町だったが、慶長年間の江戸城修築の時から曲輪内となり武家地となった。有楽町成立以前は1丁目は木下延俊・浅野幸長京極高知奥平信昌らの大名屋敷があり、幕末は因幡鳥取藩松平氏・下総古河(こが)藩土井氏・上野高崎藩松平氏・摂津高槻(たかつき)藩永井氏・越前丸岡藩有馬氏らの上屋敷があった。2丁目は古くは山内忠義・堀親良・竹中重利らの大名屋敷があり、幕末は阿波徳島藩蜂須賀氏・土佐高知藩山内氏の上屋敷と南町奉行所があった。3丁目は、古くは水野忠胤・松平信一・九鬼守隆らの大名屋敷があり、幕末は常陸笠間(かさま)藩牧野氏・肥前島原藩松平氏上屋敷・阿波徳島藩蜂須賀氏・土佐高知藩山内氏らの中屋敷があった。【出典

・ 織田信長の弟の有楽斎が数寄屋橋御門の近くに屋敷を賜ったのに由来する。そこを「有楽原」といい、数寄屋橋の数寄屋は有楽斎の茶室のこと。【東京23区の地名の由来 金子勤 幻冬舎】

・ 有楽町駅(ゆうらくちょうえき): JR東日本・山手線JR東日本・京浜東北線。東京都千代田区有楽町。織田信長の弟の有楽斎の屋敷があったため、江戸時代には有楽原と呼ばれたことに由来する。【地形を感じる駅名の秘密 東京周辺 内田宗治 じっぴコンパクト新書】

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