江戸城
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江戸幕府の組織 江戸時代の生活
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■ 江戸城を囲む七つの大地
上野 本郷 小石川 牛込 麹町 麻布 白金 に囲まれた中心、つまり江戸城が風水で言われる龍の穴で栄える。
出典: 日本地図から歴史を読む方法 武光誠 著

■ 江戸城内の昼食
・ 江戸時代に1日三食が定着したのは、明暦3年(1657年)の「明暦の大火」の後といわれる。江戸市中の復興のために諸国から多くの職人が江戸に来て、その職人達に昼食をだしたことから、庶民にも昼食の習慣が広まった。
・ 喜多村信節の随筆である「嬉遊笑覧」には「武家では昼食を食べることは昔はなかった。昼食は働く人が食べるものである。・・・・・昼食のことを、侍は中食(ちゅうじき)といい、町人はひるめし、お寺では点心、旅館では昼休み、農民は勤隨(ごんずい)、宮中の女房言葉では御供御(おくご)といった、とある。【参考:お江戸の役人 面白なんでも事典 中江克己 PHP文庫】

■ 江戸城の改修
・ 四代将軍家綱が、江戸城の中奥の庭を改修した時には、紀州藩から那智の石500俵、大砂50俵、躑躅(つつじ)が贈られた。尾張藩からは小松が贈られた。【徳川将軍家の真実 山下昌也 学研M文庫】

■ 江戸城の出入り口
# 将軍: 将軍の出入り口は本丸御殿の「大玄関」ではなく、中奥と大奥の境の「御台所口(御門)」「御風呂屋口」。これは私邸の入り口で、将軍以外、御三卿も使用した。
# 大玄関: 大名、当番目付、旗本。
# 御納戸口(老中口): 老中、若年寄、側用人。
【徳川将軍家の真実 山下昌也 学研M文庫】
# 大奥や二の丸や三の丸への出入りには平川門(平河門)が使われた。かつて、門の前を平川が流れ、このあたりは江戸の港町だった。なお、平川門は城内の死者や罪人を出したため、「不浄門」とも言われた。【徳川将軍家の真実 山下昌也 学研M文庫】

■ 江戸城の場所: 武蔵国荏原郡桜田郷
・ この地を徳川家の関東入国後の中心地に定めたのは「秀吉」で、「徳川実紀」にも書かれている。【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】

■ 江戸城の広さ
・ ものの本によると、広さ30万7000坪(101.31ヘクタール)とのこと。
・ 江戸城の総坪数は22万2千余坪。本丸御殿は1万3173坪。西の丸御殿は7200坪。本丸のうち、表向および中奥は計4688坪。大奥は6318坪。【参考: 考証 大奥 稲垣史生】

■ 吹上御苑
・ 吹上御苑には、かつては御三家をはじめ、多くの武家屋敷があったが、明暦の大火の後、火除け地として庭園が整備された。【徳川将軍家の真実 山下昌也 学研M文庫】


■ 元禄関東大地震で江戸城の堀の水が溢れた。 

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