京極高次
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■ 京極高次(きょうごくたかつぐ)出典

・ 「京極」の名字

・ 1563ー1609年。享年47歳(病死)。

・ 出身地: 近江国

・ 肩書き: 武将。

・ 家族: 妻:初、弟:京極高知。

・ 近江国守護の京極高吉の子。浅井長政の庇護のもとで成長した。高吉は足利義昭に仕えていたが、義昭が織田信長と対立すると、高次は信長のもとで人質になった。本能寺の変で信長が討たれると、明智光秀に与し、羽柴秀吉を攻めた。しかし、光秀が討たれたため、同じ光秀派で、妹の竜子の夫である武田元明を頼った。しかし、秀吉は元明に自害を命じ、竜子を自分の側室にした。竜子は高次の命乞いをしたため高次は許されて、秀吉に仕えた。その後、高次は1586年に大溝城に入って大名になって、1595年には大津城に入って6万石を領した。しかし、豊臣秀吉の死後は徳川家康に接近して、関ヶ原の合戦では西軍を大津城に引きつけて東軍のために寄与した。その後、若狭国大名になった。

■ 京極高知(きょうごくたかとも)

・ 1572−1622年。京極高次の弟。早くから、豊臣秀吉に仕えた。近江国蒲生郡に5000石を賜って、その後信濃国の飯田城主に。秀吉の死後は、徳川家康に接近。関ヶ原の合戦では東軍に属し、丹後国宮津藩12万石を賜った。【出典


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