足利義昭 | |
【参考資料・文献】 | 【利用上の注意】 |
名字の由来のTop | 地名の由来のTop |
名字と地名のMenu | 歴史的人物のTop |
スポンサーリンク |
スポンサーリンク |
■ 足利義昭(あしかがよしあき)【出典】
・ 「足利」の名字
・ 1537−1597。享年61歳(病死)。
・ 出身地: 山城国。
・ 肩書き: 室町幕府の十五代将軍。
・ 家族: 父:足利義晴。
・ 家紋: 足利二つ引き紋。
・ 足利十二代将軍の足利義晴(よしはる)の次男。兄の義輝が永禄の変で殺されると、義昭も幽閉された。このときには、僧籍に入っていたが、細川藤孝の力を得て近江国の和田氏のもとに脱出すると、還俗して義秋を称した。そして将軍家の再興を目指して越前国の朝倉氏を頼って身を寄せ、そこで元服して義昭に改称した。しかし、朝倉義景が上洛の意志が無いのを知り、明智光秀を介して織田信長に接近した。信長は義昭を擁立して上洛し、義昭は十五代将軍になった。しかし、実権は信長が握っていたため、義昭は信長の追討を計画し、朝倉氏、浅井氏、六角氏、武田氏、本願寺と連携して信長包囲網をしいた。1573年には自ら山城国槇島城で挙兵したが、信長軍に敗れて追放された。ここで室町幕府は滅亡し、その後義昭は出家後に病死した。
【Help】 「苗字」「階位」「幼名」「通称」「諱」「尊称」「号」「氏」「姓」などはこちらをご覧ください。