山城国 | |
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# 旧畿内。
# 現在の京都府の南部。
# 太閤検地での石高: 23万石。【戦国大名県別国盗り物語 八幡和郎 PHP文庫】
# 延喜式による国力順位(納税額による)【本当は面白い「日本中世史」 八幡和郎】。山城国は49位。
# 「山城国」は昔は「山背国」と書き語源は「山の向こう側」。
# 大宝令によって山背国と統一されるまでは山代国と書いた。平安遷都に伴い山城国と変えた。政権の所在地の大和国からみて奈良山のうしろにあたるので「ヤマウシロ」と称し、それが訛って「ヤマシロ」となった。【日本古代史地名事典 雄山閣】
# 平安京が出来た時の桓武天皇の詔に「この国の山河襟帯にして自然に城をなす。かの形勝によりて新号を制すべし。よろしく山背国を改め山城国たなすべし」とある。つまり、山河の形が城に似ているので、山城と表現した。
# 山城の守護: 室町幕府のお膝元で、「守護」は、畠山、結城、高(こう)、京極、一色、山名、赤松、伊勢、細川、大内と変わった。
# 京都御所のある場所は山城国愛宕(おたぎ)郡。
# 愛宕(おたぎ)郡: 山城国愛宕(おたき)郡の愛宕は「御岳(おたけ)」に由来する。【日本おもしろ地名考 服部真六 文芸社】
・ 愛宕里(おたぎがり): 京都府。古代、山城国愛宕(おたぎ)郡にみられた条里の里名。現在の京都市五条通りの五条坂から西側一帯に比定される。
・ 愛宕郡(おたぎぐん): かつて、山城国(京都府)にみられた郡名。「和名抄」の訓は、高山寺本に「アタコ」、刊本は「於多岐」で、山城国の最北部にあった郡。地名の由来は明らかでないが、一説に、愛宕山(右京区嵯峨愛宕町)に鎮座する阿多古社の社名に関連して、阿多古は仇子で、祭神軻遇突智神(火の神)が誕生した時、母神伊弉冉尊が身を焼かれてみまかったというところから、そのように名づけられたが、のちこの称を嫌忌して「於多岐」と改めたのだという。【出典】
・ 八坂郷(やさかのごう): 旧山城国・京都府京都市。平安期に見える郷名。「和名抄」山城国愛宕(おたぎ)郡十二郷の1つ。刊本の訓は「也佐加」、高山寺本の訓は「也佐賀」。現在の東山区祇園、八坂神社あたり一帯に比定される。「新撰姓氏録」山城国諸蕃之部に見える八坂造(高麗系渡来系氏族)がかつて居住していた地と推定され、八坂神社は、もともとは八坂造の氏神を祀っていたのかもしれない。【出典】
# 紀伊郡
・ 伏見郷: 平安時代に山城国紀伊郡にみられた郷名。
# 乙訓郡(おとくに): 京都府。「古事記」中巻に、垂仁天皇が美知能宇斯王(みちのうしのみこ)の4人の娘、比婆須比売命(ひばすひめのみこと)・弟比売命(おとひめのみこと)・歌凝比売命(うたこりひめのみこと)・円野比売命(まとぬひめのみこと)を大和国珠城宮に召したところ、比婆須比売命と弟比売命の2人はとどめおかれたが、歌凝比売命と円野比売命はみにくいということで、国元の丹波へ送りかえされることになった。円野比売命はそれを恥じて、山背国相楽まで来たときに、木の枝に首を吊って死のうとしたのでこれを懸木(さがりき)といったという。これが相楽(そうらく)の起こりである。そして弟国に来たときに深い淵に落ちて死んだので、ここを堕国(おちくに)といい、のち弟国というようになったと記している。【出典】
・ 乙訓(おとくに): 山城国の弟の国という意味。【あなたの起源を読み解く 名字の世界 インデックス編集部 イースト新書Q】
・ 訓世郷
■ 山城国風土記によると、京都の伏見稲荷大社が誕生するきっかけは「白鳥」にあるとされる。昔、秦氏の先祖が餅を用いて的にしたところ、餅は白鳥と化して山に飛んでいき、そこに稲が生えたという。そこで、その地に社(やしろ)を建てたのが伏見稲荷大社の始まりという。