「細川」の名字の由来 | |
【参考資料・文献】 | 【利用上の注意】 |
名字の由来のTop | 地名の由来のTop |
名字と地名のMenu | 「は」行の名字 |
スポンサーリンク |
スポンサーリンク |
■ 細川(ほそかわ)
【2023/05/22:改編】
# 275位
# 273位【知っておきたい家紋と名字 別冊宝島】
# 代表家紋
# 足利氏の庶流で、三河国額田郡細川郷(愛知県岡崎市細川)に由来する。
# 秋田県、岩手県、宮城県北部に多くみられる。
# 香川県、岩手県、高知県、徳島県、富山県に多く見られる。 【出典】
# 応仁の乱では、細川勝元が東軍の総大将を務め、山名氏と争った。
# 全国に分布するが東北地方と四国地方、特に香川県西部に多くみられる。
# 一族には「阿波細川氏」「淡路細川氏」「備中細川氏」「和泉上守護細川氏」「和泉下守護細川氏」「典厩家」「奥州細川氏」などがある。
# 細川: 三河国額田郡細川郷(愛知県岡崎市細川)をルーツとする。室町時代には管領を努めた。江戸時代の熊本藩主の細川氏は、和泉上守護家を努めていた細川氏の出で、三淵(みつぶち)氏を継いでいた藤孝(幽斎)が将軍の足利義晴の命で細川氏を再興した。細川頼春の家紋。
# 室町幕府の管領家。清和源氏の出。足利義康の子の義清が三河国額田郡細川郷(愛知県岡崎市細川)に住んで細川氏を称した。足利尊氏が挙兵したさいには従って、室町時代には一族で八カ国の守護をつとめた。頼元は右京大夫になって、その唐名によって嫡流は京兆家と呼ばれた。子孫は、摂津国・丹波国・讃岐国・土佐国の四カ国の守護を世襲して、管領を務めた。勝元は三渡管領に就任して山名持豊と対立して、応仁の乱を引き起こして東軍の総帥となった。その長男の政元は十代将軍の足利義稙を将軍の座から追って義澄を十一代将軍に擁立し、以後は幕府の実権を握った。十六世紀に入ってからは家督をめぐる内紛がおこって衰退した。天文18年(1549年)に晴元が三好長慶に敗れ、嫡流は事実上滅亡した。その後、三好長慶に擁立された氏綱が京兆家をついだものの実権がなく、晴元の子の昭元は織田信長に属したが、豊臣秀吉によって追放され、完全に滅亡した。【出典】
# 大和国高市郡細川(奈良県高市郡明日香村)をルーツとする細川氏は、古代豪族。
# 細川から派生した名字には、「上野」「長岡」「上地」「西内」「小神」などがある。
# 香川県:41位、岩手県:52位、高知県:84位、富山県:96位、徳島県:116位、〜山形県:768位。
# 主なルーツ地
・ 三河国額田郡細川郷(愛知県岡崎市細川)をルーツとする。
・ 大和国高市郡細川(奈良県高市郡明日香村)をルーツとする。
# 茨城県の細川家
# 富山県の細川家
# 石川県の細川家
# 熊本県の細川家
# 戦国時代の武将の細川藤孝(幽斎)は足利将軍家の連枝・三淵氏の生まれ(京都で出生)で肥後細川氏の祖で、嫡男の忠興の夫人は明智光秀の娘の玉(細川ガラシャ)。政治評論家の細川隆一郎は熊本県の出身。元総理の細川護熙(もりひろ)の出生地は東京だが肥後細川家の第18代当主。歌手の細川たかしは北海道の出身。タレントの細川ふみえは青森県むつ市の出身。女優の細川直美は神奈川県横浜市の出身。俳優の細川茂樹は岐阜県大垣市の出身。俳優の細川俊之は福岡県北九州市の出身。
# 古代豪族の細川氏
# 細川家
# 「川」のつく名字。
都道府県毎の名字の特徴 | 名字の様々な区分 |
難読名字 | 難読地名・珍地名 |
地名と災害 | 名字の博物館 |
名字と地名・都道府県編 | 民俗学の広場内の検索 |
■ このサイトで使用している「名字の順位」「全国の概算数」「都道府県毎の順位」などについてはこちらを御覧下さい。【詳細】