細川家の家紋
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■ 細川家: 「細川」の名字の由来

# 代表家紋: 九曜紋

・ 細川頼春: 九曜紋。占星術をふまえた星宿信仰に由来する。

・ 細川忠興: 九曜紋【武将と家紋 インデックス編集部】

・ その他の家紋: 蛇の目紋三階菱紋五三桐紋

# 「細川九曜紋」「細川桜紋」「五三桐に二つ引き紋」「蛇の目紋」【知っておきたい家紋と名字 別冊宝島】

# 細川【出典

・ 愛知県岡崎市細川町/清和源氏義康流足利氏族: 「九曜紋」「細川九曜紋」「陰九曜紋」「細川桜紋」「丸に二つ引紋」「丸に五三桐紋」「丸に五七桐紋」「亀甲に五三桐紋」「五三桐に二つ引紋」「蛇の目紋」「丸に剣片喰紋」「丸に木瓜紋」「丸に蔦紋
※ 足利義清の子の広沢判官代義実の子の義季が細川郷を領して細川次郎を称した。

# 細川家【出典

・ 細川九曜紋(ほそかわくようもん): 室町幕府で管領をつとめた細川家は、清和源氏の足利氏の一族で、大名になった細川藤孝はその庶流。家紋は足利一門に共通する「二つ引」だった。しかし、藤孝の息子の細川忠興織田信長の脇差しについていた九曜紋の使用を願い出て許され、こちらを家紋として使用した。また、人違いで肥後藩主の細川宗孝が殺害される悲劇がおきたことから九曜紋に変更を加えた。周囲の星を小さくしたデザインは、「細川九曜紋」「離れ九曜紋」とも呼ばれた。

# 細川勝元: 九曜紋。十六歳で幕府の執政権を束ねる管領に就任し、以後二十年以上もその座についた。応仁の乱では東軍の総大将として戦ったが病没した。【出典

# 細川忠興: 細川家の家紋が明確に九曜紋となったのは忠興の代からだという。忠興は、当時有数の教養人として知られていた父の細川藤孝(幽斎)の血を引いて文化人気質のためか、替紋として細川桜紋を使用した。潔く散る桜は、武士にとっては不吉なイメージがあり、桜紋は忌避するのが普通だった。しかし、忠興は桜の花の美しさにひかれ、それを家紋にした。【出典

家紋の図柄

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