細川忠興
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■ 細川忠興(ほそかわただおき)【出典】: 「細川」の名字の由来

・ 1563−1645年。享年83歳(病死)。

・ 出身地: 山城国

・ 肩書き: 武将。

・ 家族: 父:細川藤孝

・ 家紋: 九曜紋

・ 室町時代の十三代将軍の足利義輝に仕えた幕臣の細川藤孝の長男。擁立した足利義昭織田信長と対立したことをきっかけに、細川忠興は明智光秀や父の藤孝とともに、信長に仕えた。以後は、紀州征伐などで功を成し、正室には信長の仲介で明智光秀の三女の珠(たま)を迎えた。本能寺の変の際に、光秀から誘いを受けた際には断ったが、光秀が織田信長を討ったために、妻が逆臣の娘になった。妻を溺愛する忠興は離縁できずに幽閉した。その後、羽柴秀吉に信頼された忠興は多くの功を成し、朝鮮出兵でも朝鮮半島に出陣した。秀吉の死後は、石田三成と対立して、関ヶ原の合戦では東軍に属した。その功績で豊前国の小倉藩40万石を領した。

# 細川忠興: 忠興は関ヶ原の功により中津39万石を与えられた。
・ 細川藤孝は長岡藤孝はと名乗っていた。【ここまでわかった! 明智光秀の謎 歴史読本 新人物文庫】
※ 丹後の守護、長岡兵部大輔藤孝とある。


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