「斯波」の名字の由来 | |
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■ 斯波(しば)
【2023/05/22:改編】
# 6771位
# 山形県:854位など。
# 代表家紋
# 室町時代の将軍家の足利氏の一門で、室町幕府の管領(将軍の補佐役)となった氏族で、陸奥国斯波郡(岩手県紫波郡)の領地に由来する。斯波義将の家紋。
# 斯波: シバとは、柴地や芝地のこと。
# 山形県の祖といわれるのは斯波兼頼だが、斯波氏は岩手県紫波郡をルーツとし、足利氏の流れをくんでいる。足利氏は清和源氏で八幡太郎義家の子義国を祖とする。義国は平安時代末期に下野国足利荘に住み、その子の義康が足利姓を名乗った。また最上義光の最上家は山形県最上郡を発祥の地とするが、これも足利義康の系統である。
# 斯波から派生した名字には、「大崎(宮城県大崎市)」「最上(山形の最上家)」「広沢」「石橋」「吉田」「奥田」「津川」「黒川(宮城県黒川郡?)」「宇野」「清水」などがある。
# 室町時代の管領家。清和源氏の足利氏の一族。鎌倉時代、足利泰氏の子の家氏が陸奥国斯波郡(岩手県紫波郡)を領したのが祖。応仁の乱では義敏は東軍、弟の義廉は西軍に属した。義廉は重臣の朝倉孝景を越前国に派遣し、孝景は文明3年(1471年)に越前国から斯波義敏勢を駆逐して制圧したが、その後東軍に転じて将軍家の直臣になったことから、斯波氏は越前国を失った。文明7年に義廉は織田敏広に擁立されて尾張国に下向したしたが国内での支持を得ることはできず、結局、越前国は朝倉氏、尾張国は織田氏、遠江国は今川氏が実質的に支配することになった。この中で、義敏の子の義寛が守護代の織田敏定に擁立されて、名目だけの尾張国の守護職にあった。天文23年(1555年)に清須城で織田信友のもとで守護職をつとめた義統は、信友の老臣の坂井大膳に殺された。子の義銀は清須城を脱出して織田信長のもとへ逃れ、これを機に信長は信友を討って義銀は斯波家の当主につけると、永禄2年(1559年)には尾張国を統一。永禄4年に信長は存在価値を失った義銀を追放して斯波氏は滅亡した。【出典】
# 岩手県の斯波家
# 石川県の斯波家
# 福井県の斯波家
# 斯波家
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