「大崎」の名字の由来
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■ 大崎(おおさき)

【2023/02/28:改編】

# 494位

# 代表家紋

# 清和源氏足利氏流藤原北家道兼流、橘氏などにみられる。

# 地名姓で各地にみられるが、特に高知県や愛媛県に多くみられる。

# 大崎(おおさき): 陸奥国戦国大名。南北朝時代に新田義貞討伐に功をあげた斯波家兼が奥州探題として派遣され、陸奥国多賀国府に入ったのが祖。名字の由来の地は下総国香取郡大崎荘(千葉県香取市)という。二代目の直持は吉良氏畠山氏などの先任の管領に代わって事実上奥州を支配した。三代の詮持の明徳2年(1391年)、幕府は奥州を鎌倉公方の支配下に組み込んだため斯波氏は奥州管領の地位を失ったが、応永7年(1400年)には幕府に働きかけて新たに奥州探題に任命された。詮持は栗原・玉造・加美・志田・遠田・長岡・新田の河内七郡を直轄の支配地とし、満詮の頃から大崎氏を称して領国支配を確立した。戦国時代になると伊達氏の圧迫を受けるようになり、大永3年(1523年)に陸奥国の守護になった伊達稙宗に実権を奪われた。義直の代には家臣の叛乱が相次ぎ(大崎の乱)、伊達稙宗の力を借りて平定したことから、以後大崎氏は伊達氏の傘下に入った。天正18年(1590年)、豊臣秀吉小田原攻めの際に参陣せず所領を没収された。その後、義隆が上洛して領土回復を図ったが、大崎一揆の勃発で失敗した。以後、大崎氏の末裔不詳。【出典

# 主なルーツ地

・ 陸奥国玉造郡大崎(宮城県大崎市)をルーツとし、清和源氏斯波氏庶流

・ 下総国香取郡大崎(千葉県香取市大崎)をルーツとする。

・ 土佐国吾川郡大崎(高知県吾川郡仁淀川町)をルーツとする。

・ 日向国諸県郡大崎(宮崎県)をルーツとし、新納氏の一族。

# 宮城県の大崎家

# 大崎家(おおさきけ): 家紋「足利二つ引紋」

・ 陸奥国玉造郡名生(宮城県大崎市)を本拠地とした。

・ 最上氏と同じく斯波氏後裔で、斯波家兼を祖とする。家兼は奥州探題として陸奥国河内に下向して満詮が大崎氏を称した。大崎は下総国香取郡大崎に由来する。【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】

# 「崎」のつく名字

# 「大」のつく名字

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