「伊達」の名字の由来
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■ 伊達(だて)

【2021/02/27:改編】

# 1008位

# 藤原北家山蔭流にみられる。

# 代表家紋

# 関連姓氏: 

# 大阪府から山陽地方にかけて多くみられる。

# 陸奥国伊達郡(福島県)をルーツとする。

# 藤原朝宗が常陸国真壁郡伊佐荘中村(茨城県筑西市)に住んで伊佐氏を称す。後に源頼朝に仕えて陸奥国伊達郡(福島県)を領し、高子岡城(福島県伊達市保原町)を本拠として伊達氏を称す。【地名の詳細

# 伊達氏は常陸国伊佐庄(茨城県筑西市)の御家人で伊佐を名乗っていたが、奥州戦争で伊達郡における戦いで、地元の信夫庄司佐藤基治を破り、伊達郡を賜って伊達氏を名乗った。伊達政宗の家紋

# 伊達氏から出た名字: 「桑折

# 伊達家、室町時代には「いだて」読み。「だて」読みは15世紀からみられ、江戸時代は「いだて」「だて」が混用された。現在は殆ど「だて」読み。
・ 代表家紋: 仙台笹。伊達家の定紋は「竹に雀」だが、近衛家から贈られた「牡丹紋」や「菊紋」「桐紋」なども使われた。

# 伊達家(だてけ): 家紋「堅三つ引両紋」

・ 出羽国置賜郡米沢(山形県米沢市)を本拠地とした。

・ 藤原北家山蔭流の末裔で、常陸国真壁郡伊佐荘の出という。南北朝時代には南朝に属したが、15世紀以降は室町幕府に近づき、14代の伊達稙宗は陸奥国の守護を務めた。伊達晴宗は本拠地を陸奥国伊達郡から米沢に移し、奥州探題を務めた。伊達政宗は領土を拡大したが、天正19年(1591年)に岩出山に居城を移された。関ヶ原の戦いでは東軍に属し、江戸時代には仙台62万石。【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】

# 主なルーツ地
・ 陸奥国伊達郡(福島県)をルーツとする。

# 伊達家は藤原北家の山蔭流で藤原山蔭の6代の実宗が常陸国真壁郡伊佐荘中村(茨城県筑西市)に住んで伊佐氏を称した。そして実宗の5代裔の朝宗が源頼朝の奥州合戦で功をなし陸奥国伊達郡を賜って二男の宗村と移り住んで、後に伊達氏を称した。朝宗の長男の為宗は引き続き伊佐で伊佐氏を称した。戦国時代に伊達稙宗が陸奥の守護となり、晴宗の時に奥州探題となって米沢に移る。伊達政宗は会津などにも所領を広げたが、豊臣秀吉の全国統一の際に会津を没収され岩出山に移った。関ヶ原の戦いの後、仙台に移る。

# 茨城県筑西市中館は伊達氏の発祥の地で伊佐氏の居城があった。伊佐城は鎌倉時代前期に藤原朝宗が築いた。

# 戦国時代の初期に伊達晴宗が陸奥国守護となり、陸奥国伊達郡梁川城(福島県伊達市梁川町)に移り、その後、出羽国米沢(山形県米沢市)に移った。

# 伊達氏第16代の政宗が出羽国陸奥国の南部を統一し、その後豊臣秀吉に会津を没収されたが、関ヶ原の合戦後、陸奥国仙台藩62万5000石の藩主となる。

# 仙台の伊達藩の一門には、亘理伊達氏、岩出山伊達氏、宮床伊達氏、川崎伊達氏などがある。また、伊達政宗の長男の伊達秀宗は1615年に伊予国宇和島藩10万石を立藩した。

# 伊達政宗は劣勢では大きな力を発揮するが、格下への優勢時にはとりこぼしが多いそうだが、これって山形県出身の横綱「柏戸」そっくりじゃないの。

# 政宗が出た伊達家は長髄彦の子孫という説もある。

# 北海道の伊達家: 紋別の亘理伊達家。宮城県亘理の、亘理伊達家の子孫で、伊達稙宗の三男の実元を祖とする。江戸時代には先代藩の重臣として2万4350石を有した。明治維新後に、家臣をつれて北海道有珠郡紋別村(北海道伊達市)に移住した。

・ 宮城県亘理の伊達家の子孫。明治維新後に家臣を率いて北海道の伊達紋別(伊達市)に移り住んだ。【出典

・ 伊達市に入植した仙台藩主の一族の亘理伊達家。伊達稙宗の三男の実元が祖。子の成実は1591年に伊具郡16郷を与えられて角田城に拠った。その後、成実は出奔したが、後に許され、1602年に亘理城で2万石を領した。成実の跡は伊達政宗の九男の宗実が継ぎ、後に2万4350医師となった。明治維新後、邦成(くにしげ)は旧臣を率いて北海道有珠郡紋別村(北海道伊達市)に移住し、その後男爵。【出典

# 北海道の伊達家: 石狩当別の岩出山伊達家。伊達政宗の四男の宗泰を祖とする。明治維新後に北海道石狩郡当別(北海道当別町)に移住した。

・ 石狩当別に入植した仙台藩主の一族の岩出山伊達家。伊達政宗の四男の宗泰が、1603年に玉造郡岩出山城(宮城県玉造郡岩出山)を与えられたのが祖。代々、弾正を称し、一門の中でも特に有力な一族であった。1691年に三代敏親が開設した有備館は著名。四代村泰は妻が冷泉家の出だったことからしばしば京都に赴き、竹林の造成に移入。これをもとにした竹細工を奨励して岩出山の名物とした。1871年に邦直の時に北海道石狩郡当別(北海道当別町)に移住した。その後男爵。【出典

# 北海道の伊達家: 松前のの豪商。陸奥国伊達郡貝田村(福島県伊達郡国見町)の出。 

・ 松前城下(松前町)の豪商。初代の林右衛門は陸奥国伊達郡貝田村(福島県)の出で、1788年に蝦夷地に渡り、1793年に江戸の両替商・本家伊達浅之助家の支援を受けて松前城下に「伊達屋」を開いた。1810年には栖原角兵衛と共同で樺太漁場を開き、幕府の蝦夷地御用達となった。1854年に三代目林右衛門は松前藩士となり、勘定奉行に抜擢された。明治維新後、五代目林右衛門は漁場を栖原家に譲渡して撤退した。【出典

# 岩手県の伊達家: 仙台藩主の伊達家一門の岩谷堂(岩手県奥州市江刺区)伊達家。陸奥国磐城(福島県いわき市)12万石の大名の磐城常隆の長男の政隆が岩城家から出され、伊達氏に仕えた。 

# 秋田県の伊達家: 秋田藩の重臣。伊達晴宗の五男の盛重は天正8年(1580年)に国分盛氏の養子となって国分氏を継ぎ、一門として伊達氏を称していたが、正宗により領地を奪われ、甥の佐竹義宣のもとに逃れた。 

# 宮城県の伊達家: 仙台藩主藤原北家の山蔭流。【家紋:】明治時代には伯爵

・ 仙台藩主。戦国大名の伊達氏の子孫。伊達政宗は関ヶ原の合戦では東軍に属し、1601年に仙台に移り、1603年には仙台藩60万5000石を立藩した。後に2万石を加増。四代綱村は2歳で跡を継いだことから一門の伊達兵部宗勝が後見人として藩政を専制。やがて一門の伊達安芸宗重の争いがおこり、1671年に大老の酒井忠清邸での取り調べの際に、同席した原田甲斐が突如宗重を惨殺、甲斐も殺され、宗勝も土佐藩に預けられた。五代吉村は藩政を改革、余剰米を江戸に回漕して巨利をあげ、中興の祖と言われる。幕末、慶邦は奥羽列藩同盟に参加して敗れ、1868年に28万石に減知、慶邦は蟄居謹慎となった。1884年には伯爵。宇和島藩主の宗城の二男で慶邦の養子となった宗教は1884年に分家して一家を興し、その後男爵。一門に亘理伊達家、岩出山伊達家、宮床伊達家、川崎伊達家などがある。【出典

# 宮城県の伊達家: 伊達家一門の宮床(みやとこ)伊達家。伊達朝宗の六男の実綱が祖。陸奥国伊達郡伊達崎(福島県伊達郡桑折町)を領して、後に田手氏を称した。永正年間に伊具郡に所領を持ち、代々角田城に拠って伊達本家の重臣となった。【出典

# 福島県の伊達家: 陸奥国の戦国大名。藤原北家山蔭流。実宗が常陸国真壁郡伊佐荘中村(茨城県筑西市)に住んで伊佐氏を称し、1189年に朝宗(常陸入道念西)が源頼朝の奥州合戦に従軍して信夫佐藤氏を討ったことから陸奥国伊達郡を賜って、二男宗村と共に入部して伊達氏を称したのが祖。当初は「いだて」とも読んだ。以後、伊達郡の地頭となり、高子岡城(福島県伊達市保原町)に拠った。南北朝時代、行朝は南朝に属して各地を転戦。後に北朝に転じ、出羽国長井地方を支配。さらに亘理氏を従え、大崎氏も討って、陸中地方にも進出した。1522年、稙宗は陸奥守護となって梁川城(福島県伊達郡梁川町)に転じ、晴宗の時は奥州探題となって米沢に移る。政宗は二本松氏、芦名氏を討ち、さらに大崎氏、田村氏、石川氏、白河氏、結城氏を従えて、出羽・陸奥の南部を支配した。1590年、豊臣秀吉に従って会津を没収され、翌年陸奥岩出山に移り、陸奥20郡を領した。関ヶ原の合戦では東軍に属し、1601年には仙台に移り、1603年に仙台藩60万5000石を立藩した。【出典

# 和歌山県の伊達家: 紀州藩士仙台藩の伊達氏の一族という駿河伊達氏の一族。

# 愛媛県の伊達家: 宇和島藩の伊達家は幕末四賢侯の伊達宗城の功績で明治維新後には侯爵 

・ 宇和島藩主。仙台藩の支藩。伊達政宗の庶長子である秀宗が、1615年に伊予宇和島藩10万2000石を立藩したのが祖。1657年に3万石を分知して7万2000石となった。五代の村候は藩政を改革、精蝋や干し鰯の生産を奨励する一方、藩校内徳館を創設するなど名君として知られる。幕末に旗本の山口家から八代目を継いだ宗城は四賢候の一人として知られ、新政府の樹立に活躍。明治維新後にも要職を歴任して、伯爵から侯爵。【出典

# 愛媛県の伊達家: 吉田藩(宇和島市)藩主。初代の宇和島藩主伊達秀宗の五男の宗純が、1657年に3万石を分知されて宇和郡吉田に陣屋を置き、吉田藩を立てた。三代村豊は元禄赤穂事件の際に浅野内匠頭と共に勅使接待役を務めた。明治時代には子爵。【出典

【伊達】【出典

# 宮城県の伊達家: 陸奥の戦国大名で藤原北家山蔭流。実宗が常陸国真壁郡伊佐荘中村(茨城県筑西市)に住んで、伊佐氏を称し、文治5年(1189年)に伊佐朝宗が源頼朝の奥州合戦に従って信夫佐藤氏を討った功により陸奥国伊達郡を賜って伊達氏を称した。当初は「いだて」とも読んだ。その後、本拠地を出羽国米沢、陸奥国岩出山、陸奥国仙台と移り、関ヶ原の戦いでは東軍に属し、江戸時代には仙台藩60万5千石。

・ 亘理伊達家: 伊達稙宗の三男の実元を祖とする。明治維新後に北海道有珠郡に移り住んだ。

・ 宮床伊達氏: 伊達朝宗の六男の実綱を祖とする。後に田手氏を称し伊達宗家の重臣となった。江戸時代に宗家の宗房が継いで伊達氏に復姓した。

# 宮城県の伊達家: 伊達家一門の岩谷堂伊達家。

# 岡山県の伊達家: 備中国阿賀郡の国人。陸奥の伊達氏の一族で、大永元年(1521年)に伊達重興が備中国に移り住んだ。戦国時代には尼子氏に属したが宇喜多氏に敗れた。

# 静岡県の伊達家: 遠江国磐田郡の国人。陸奥の伊達氏庶流今川氏に仕え、北条氏を経て結城秀康に仕え、江戸時代には津山藩士

# 「伊達」の語源

# 「伊達」の地名


【伊達の雑学】

# 伊達千広
日本歴史の時代区分論である「大勢三転考」の著者。紀州藩士の出で、幕末に藩財政取締の要職である勘定吟味役を務めた。「大勢三転考」の中で、日本歴史の大勢を「時制の転変、制度の沿革」により「骨(かばね)の代」「職(つかさ)の代」「名(みょう)の代」と三分した。骨(かばね)は姓(かばね)のこと。職(つかさ)は臣や連などの称号。鎌倉時代には名(みょう)の時代。【日本史に出てくる 官職と位階のことがわかる本 「歴史読本」編集部編】

■ 伊達政宗

■ 宇和島藩 ・ 仙台藩 ・ 吉田藩

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