仙台藩
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■ 仙台藩(宮城県仙台市)  

・ 伊達家62万5000石・外様

・ 伊達陸奥守

・ 伊達家の先祖は藤原氏の一族で、常陸国下館にあったが、源頼朝によって陸奥国伊達郡に地頭として送り込まれた。その後、出羽国米沢に転じ、陸奥国岩出山を経て仙台に転じた。

・ 滋賀県の東近江市の旧八日市の南半分は仙台藩(伊達家)の領地だった。

・ 戊辰戦争後、石巻は高崎藩が占領した。

・ 「仙台藩では「要害」、久保田藩では「館(やかた)」、土佐藩では「土居」、薩摩藩士は「麓(ふもと)」という陣屋をつくり、一族の分家や有力な家臣が住んでミニ城下町を作った。秋田県仙北市の角館、高知県佐川、鹿児島県南九州市知覧などが代表的。

・ 伊達政宗

# 仙台藩

・ 表高62万石、実高98万石。

・ 人口(享保2年): 869,846人

・ 家臣団(明和年間): 一門11人、一家17人、準一家10人、一族22人、宿老3人、着座28人、太刀上10人、召出一番坐38人、召出二番坐51人。平士3662人、組士707人、足軽2961人。合計7530人。

【歴史人 2018.08.No92 江戸三百藩「仕事と暮らし」】

# 伊達氏は福島県伊達市にルーツがあり、源頼朝の奥州征伐の際に功をあげて陸奥伊達郡を与えられた藤原朝宗が伊達氏を名乗ったのが最初。政宗の父の時代に内紛から本拠地を米沢に移し、その後政宗が岩出山にそして仙台に本拠地を移した。陸奥国宮城郡(仙台市)62万石。 

# 仙台藩(せんだいはん)

・ 江戸期の藩名。伊達氏が仙台に拠って組織した大藩。62万石。これは、加賀藩102万石、薩摩藩77万石に次ぐ天下第3の大藩である。初代藩主伊達政宗。戊辰の役(明治元年)の藩主慶邦。

伊達氏は藤原北家山蔭流と伝える。その遠祖が常陸介として任地に下向、常陸国真壁郡伊佐荘中村に住して、伊佐または中村を名乗っていた。入道念西朝宗の時、子息一族をあげて文治5年の平泉合戦に参加、伊達郡阿津賀志(あつがし)山攻略戦に大功があり、戦後の論功行賞に伊達郡を拝領、よって伊達氏を称するに至る。【角川日本地名大辞典】

・ 伊達氏は三百諸侯中最も数多い家臣を抱え、その数は徳川氏に次ぐと称されていた。伊達氏直属の家臣団だけでおよそ9878人、陪臣の家中士およそ2万4000人。総計3万5000人に近い大家臣団を構成していた。卒を除く純然たる士分だけで3540人余、家族を含む武家方総人口は寛保2年で18万5570人。この年の仙台領内総人口81万8061人の22.68%を占めていた。町方(町人)人口は2万374人で、総人口比2.48%である。【角川日本地名大辞典】

■ 慶長三陸地震津波における仙台藩内の被害


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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